メジャーリーガーとスポーツ賭博

昨今報道されている昨今メジャーリーグでばりばり活躍している日本出身の某野球選手のスポーツ賭博絡みのスキャンダル。賭け事にはもうまるでまったく興味がないのでよくわからない。

たとえば王子が賭博で負けが込んですぐに5万ドルほど払わないと腎臓いっこ持ってかれる、なんてことがあったとして、おまえ何やってんだよ!とぶつぶつ言いながらわたしが肩代わりしたらそれって違法なの?それとも金額が大きいから?それとも賭博が違法だから?

というわけで王子に聞いたら、一般人はともかくスポーツのプロ選手はスポーツ賭博をやっちゃいけないんだって。へー、儲けるために試合に負けるみたいなイカサマができるからなのか。で、さすがに本人の知らないところで百万ドル単位、日本円なら億単位の金額を送金しましたっていうのは無理があるよね、というのが二人共通の見解。

野球しかしてこなかったメジャーリーガーが実はセキュリティ意識皆無でラップトップはパスワードなしのうえに銀行のサイトはIDとパスワードが記憶されていて、さらに二段階認証設定なしで送金し放題、ということもなきにしもあらずか。

個人的にはメジャーリーガーは金に頓着してなくて、これまで一緒に戦ってきた戦友なんだから困っているなら数億円くらい送るよ、金ならまた入ってくるし的な気持ちで深く考えずにくれてやったら、あらあれ違法だったのね?抜かったわーみたいな感じじゃないかと何の根拠もなく勝手に想像してるんだけど。日本人は基本のんびりしているから、てか自分がやりそうだから。

それにしてもこれまで持ち上げるだけ持ち上げてた報道の空気が一転して厳しくなったのがアメリカっぽくて怖い。コンプライアンス違反はうるさいからね。この間うちの本院の看護部長がやらかして一刀両断で解雇決定、ちょうどその日にオンラインのミーティングがあって「本当にありがとう、急なことで本当に…ううう」とか言っててすんげーびっくりした。

糖尿病予備軍一時離脱

ヘモグロビンA1cの5,7という数字に衝撃を受けて食生活を変えること2か月、血液検査で5.4という数字を得た。あれだけやってこんだけか、と思わないでもないがとりあえず安心。このままこの生活を続けて行けば糖尿病予備軍を正式除隊できる日も来るかもしれない。

ところで最近思うのは、若さのカバー力の強大さである。かなり無茶な生活をしていても一応何とかなる。体重が180kgでBMIが60に近くても、20代から30代くらいまでなら自力で歩けるし血圧も普通だし血糖も高くない、なんてことも普通にある。わたしも「朝ごはんに大福」「朝ごはんにカステラ」「朝ごはんにロールケーキ」みたいな生活をしていたが、それで血糖が上がることはなかった。もうそんな生活は二度とできまい。

ところで食生活を変えたら体重も7kg程落ちてウエストができて、スクラブのパンツがずり落ちなくなった。もう二度と痩せないだろうなーと思って処分した日本ではいてたパンツ、あったらはけたのにな。残念。

研修看護師制度 続き

うちの部署に二人来るはずだった研修看護師、どうやらどちらもその後国試に落ちたらしく話が消えた。

看護部長に「ねえねえ研修看護師取らない?取らない?」とやいやい言われたうちの師長が「うち新人はとらないんだけど…じゃあ試してみようか、予算別枠でうちの腹は痛まないみたいだし」とふたり引き取ることを承諾してこれだったので、「これは天啓に違いない。もう新人はいらん。てか新卒で9割受かる国試に落ちるような人材は必要ない」ということになった様子。

「でもかいるび、おまえはプリセプターシップ研修はそのまま行け」だそうです。このコースを受けることが新人担当の資格なんだって。

実は来る予定だった新卒さんのうち一人は知っている。うちの外科の麻酔回復室が術後の患者を主に送り出している病棟で5年位前に助手をしていた女の子だ。患者を送り出したいと電話をすると必ずこの女の子が応答して、そのほとんどのケースで「担当になる看護師は今忙しいので」とつないでくれなかった。こちらは患者の観察やら覚醒時の疼痛管理やらとそのほかの対応をして、落ち着いたところで申し送りをする。で、申し送り後に再度鎮痛剤を投与して送り出すと病棟でもしばらくは落ち着いているというシナリオでやっているのだが、「いま忙しい」で30分1時間待たされるとその間に痛みがぶり返して一からやり直しになって落ち着くまでにはそこからさらに1時間はかかる。だからその名前はよく覚えている。いつの間にかいなくなったと思っていたが、看護学校に行っていたらしい。

いやでも国試難しかったけどね。外国人だからということもあるだろうけど、それでも受けてて応用だらけで難しすぎて訳がわからず、この問題は確実に正答のはず、みたいな問題は75問でいきなり試験が終了するまで5問くらいしかなかったと思う。まるで歯が立たなかった、75問で終了なら落ちたのだな、というのが受験後の感想だった。

研修看護師制度

昨今アメリカの医療界に「研修看護師制度」が登場した。研修医制度の看護師版らしい。うちの病院が認定を受けたマグネット制度の一部っぽいけどよくわからない。

研修医制度はもう何十年と機能してきており、医大を卒業してめでたく医師免許を取得した若い医師が希望の病院でいろんな科を数か月ごとにまわって修行する(という名目で、実際は臨床を回す主要なマンパワーとして若い医者をがっつり使う)制度で、3年後には終了して本格的に医師として希望の方向へ進むというものだ。

一方研修看護師制度は今のところ話を聞く限りではOJT(実際の職場での職務訓練)の名前を変えただけのもののようだ。研修医制度のような期間は設定されておらず、またローテーションもない。これまでと同様、就職した場所でプリセプターシップを受ける。昨今は新人の獲得が大変だから、来てくれた新人が辞めちゃわないように名前を変えて手厚く保護しつつがんばってもらおう的なものを感じている。

わたしはアメリカに来て就職して以来同じ場所でぼちぼち勤務して、今年で15年目となった。10年目くらいで外科から内視鏡室に正式に異動し、現在は主任となったが、それでもやっぱり外科で人員がが少ないとそっちに回されている。外科もうちも患者数が増えて人員が十分でないが採用枠をつくるだけの予算がつかない一方、研修看護師は予算が別枠で部署の懐が痛まない。そんなわけで外科と内視鏡室をとりまとめる師長がいやいやながら研修看護師をふたりとることにしたらしい。で、内視鏡室にそのうちのひとりをまわす、かいるびおまえプリセプターをやれと任命された。

うちの外科部署は基本的に新人はとらずに来た。ある程度の急性期看護の経験がある看護師でないと麻酔回復室での勤務が難しいからだ。内視鏡室も、外科での勤務を見込んで採用している。でも求人難で募集をかけても人が来ないので、今回は術前部と内視鏡室という「まあ新人でもいけるんじゃないの」みたいなエリアに突っ込むことにしたらしい。でも、新卒で術前部とか内視鏡みたいな潰しの利かない部署に来てどうするんだろう。ICUに行けとは言わないけど、もうちょっとまともなアセスメント能力を得られるところに行けばいいのに、と思う。

新人相手のプリセプターなんてもう20年くらいやってないですと言ったら院内のプリセプター研修に行かせてもらえることになった。新人が来るのは10月。乞うご期待。

でもふと思ったんだけど、研修看護師の予算は別枠って言うけど、プリセプターシップってものすごい金がかかるんだよね。中途採用ならふた月もかければ独り立ちするけど本当の新人は半年ではきかない。却って人員不足に拍車がかかりそうだけど、その辺はいいのか。いいんだな。

糖尿病予備軍入隊

3週間ほど前のある日、かかりつけ医が突然「血液検査のオーダーをしたので2週間以内に来院されたし」とメールをよこしたので翌日行って検査を済ませてきた。そして翌日見た検査結果は衝撃だった。ヘモグロビンA1Cが5.7。ヘモグロビンA1Cは過去1~2か月の血糖値の平均を表す指標として使用されている。前回は5年ほど前、5.0だった。

いい年だし、身内に二型糖尿病既往歴者がいるし、このままの生活を続ければ糖尿病予備軍から正規軍に正式入隊する日はそう遠くない。というわけでとりあえず食生活を変えた。白米とふかふかの食パン禁止。職場でのおやつのチョコレート禁止。昼ごはんはほうれん草の胡麻和えやらいんげんときのこのソテーだの切った果物だのゆで卵だのといった地味なものをタッパーに大量に詰めて持参。基本的に夕食は軽く、水を一日2L。3週間で4キロ落ちて関節の痛みがなくなり、気分の浮き沈みが減った。

体重を落としたり砂糖の摂取を大幅に減らしたり白米をやめたりすれば、関節炎みたいな慢性炎症はある程度抑えられるし精神的にも落ち着くということは知っていたが、それでもそんなことはしたくないからしなかった。やりたい放題していたかったのだ。残念ながらそういう年代は終わったらしい。

今の目標は、耐糖能を復活させて予備軍を除隊して、何かの機会には羽目を外してやりたい放題できるようになること。日本に一時帰国したらとんかつ食べるんだ!あとセブンのおにぎりと、ローソンの鬼もっちり蒸しパン…ってあれまだあんのかな。

逆差別

判決のニュースを読んでこの裁判について知った。

人種的理由による不当解雇と認めスタバに賠償命令

5年前、フィラデルフィアのスタバで何も注文せずに店内で座っていた男性が店側から退店を求められ、その後これを拒否したことで逮捕された。この男性が有色人種だったことから全米で論議を呼び、スタバのCEOはこれを誤った判断だったとして謝罪し、全米の直営スタバを一日閉鎖して従業員に人種差別についての教育を行ったという。

営利目的のコーヒーショップで注文の意図もなく場所を占有する輩に店員が店外に出てほしいと伝えることに、個人的には何の問題もないと思う。それが資本主義である。そこに人種問題をねじ込むのが間違っている。という、そんなことを昔書いたことがある。

そしてそんなスタバが白人に対する差別的解雇をしたという判決が出たのが今回の件である。アファーマティブアクションとは到底呼べない逆差別なのだが、実際この社会では白人であることが悪であるかのような印象を持つことが時々ある。

職場では毎年ポリコレについての講義を受けることが義務付けらている。職場でこんな人種や年齢による差別の事例が起きた場合に正しい対応を考えましょう、みたいなビデオやテキスト教材が延々続くのだが、こういう教材で人種や年齢で差別をする役柄はだいたい金髪の白人女性(中年)である。白人は社会で優遇され力を持った存在だという、それ自体が人種問題では禁断のステレオタイプじゃないかとわたしは思う。白人なら悪者扱いしてもセーフ、有色人種は常に被害者みたいな、昨今はそんな状況が時々見えることがある。実際のところ、わたし自身がアジア人として嫌な思いをする場合、その原因は黒人男性であることが多い。よくはわからないけれど、差別されることには敏感だけどすることはいいのかといつも思う。とりあえず身体的な接触がない限りは全力で関わらない、何か言われても聞こえなかったふりをするようにしている。犬に咬まれたくないなら近づいてはいけないのだ。


ところで人種問題についてのワークショップで「こんな差別的な発言を受けた・目撃したことについて発表しましょう」と言う場で、とある女性が発言した。

「私はボクサー犬(大型犬)を飼っています。うちの子は子犬の頃からやんちゃで、人を見るととびかかる癖があるんです。それでこの前散歩中に通りかかった男性にもじゃれてとびかかったことがあったんです。そしたらその人がなんて言ったと思います?『お宅の犬はしつけ教室に通わせたらいかがですか?』って。私がユダヤ人だからってそんな嫌味を言うんですよ、もう腹が立って」

わたしは女性がなぜ怒っているのか、それがどんな差別なのか意味がわからなかったのだが、話題が人種差別なのでどこで地雷を踏み抜くかわからずうかつにものが言えない。なので帰宅して王子にそのまま伝えたところ、「アチャー」みたいな顔をした。「その男性はおそらく『他人の迷惑になるし危ないからでかい犬はしつけろ、自分でできないならしつけ教室に連れて行け』とそのままの気持ちで言ったんだろう。でもユダヤ人は世間で倹約家というステレオタイプがあるから、その女性は『アンタはユダヤ人でケチだから金を出して犬をしつけ教室に通わせることもしない』と言われたと思って憤慨していたんだろう。そういう人は本当にいる。うちでやった人種差別のワークショップでもそんな話があった」。

怖い。でも気をつけようにも誰がユダヤ系かなんてわたしには見てもわからない。公衆に迷惑をかける飼い犬をしつけろと言ったら人種差別主義者だと告発されるとか、米国とはいったいどんな地雷原なのかと。

懐かしきかの地のデジタルコンテンツ

いつも思うんだけど、アマゾンで米国から電子書籍を購入できないのはなんでだろう。何冊かダウンロードしたところで制限がかかってその後は利用できなくなる。どうやらIPアドレスで弾かれるらしい。著作権が云々なんだろうとは見当がつくんだけど、別の大手オンライン書店は海外からだろうが海外発行のクレジットカードだろうがもうまるでまったく制限がない。そんなわけで手持ちのiPadにそちらのアプリをつっこんで電子書籍リーダーとして使っている。

デジタルコンテンツではこういうことがよくあって、たとえば携帯ゲーム機のダウンロード版のソフト購入もアマゾンは海外からでは制限がかかる。でも海外からであっても国内発行のクレジットカードを使用すれば購入ができ、企業側のサイトでコードを入力すれば米国からでもダウンロードができる。iTuneストアも同様で、米国からであっても日本のiTuneストアにアクセスすれば日本のコンテンツを購入できる。この場合も日本発行のクレジットカードでの利用となる。もちろんゲームソフトや書籍、DVDといった物理的コンテンツに関しては海外発行のクレジットカードで制限なく購入でき、アマゾンが販売し送付しているものは若干お得に海外発送してくれる。

好き好んで自分から日本を離れたので、日本のデジタルコンテンツへのアクセスが制限されようが患者に逆恨みされて撃ち殺されてももうまるでまったく自己責任にして自業自得、うっかりSNSで不満を漏らそうものなら見ず知らずの人から罵倒されてインターネットの怖さを再認識することになる。なので与えられたアクセスをありがたく享受している。

スプラトゥーンに手を出すんじゃなかったわー…20年位前に家庭教師をしていた高校生に勧められたパラッパラッパーが若すぎてついていけなかったけど、いやこれはもう全然。

米国の出生率

今日見かけた記事。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d8e944a2716107998293e601b24e691820861810

日本では少子化が進んでいるが米国ではそうでもない、という記事。米国だって少子化が進んでいないとは言えないものの、それで焦る必要はないから比較対象にはならないのだが。

ところで、米国ではそんなに子供が生まれているのかというと、実際かなり生まれている。米国政府が発表している2021年の総出産数は3664292件、一方厚生労働省によると日本は811604件である。この年の米国の人口が3億3290万人、日本が1億2550万人なので、人口比でざっくり計算しても日本の倍以上生まれている。

ただし、特殊出生率を見てみると、米国が1.67、日本が1.34(ともに2020年)と、別に米国に住む女性が残らず倍以上産んでいるわけではない。要するに、産む女性は複数回出産するが産まない女性は一回産むかどうかでその差が激しいということだ。

人種や宗教、あるいは教育を受けているかどうかでも出産数に差が出る。ヒスパニック系米国人の多くが避妊や堕胎を教義で禁じるカトリック教徒で、ほかの人種よりも特殊出生率が高い。また、高校までが義務教育である米国で高校卒業しなかった女性の平均出産数が2.7であるのに対し、学士号を持つ女性の平均出産数は1.87である。そのほか高校卒業で2.25、准学士号で2.13、修士号以上で1.8と、高学歴になるほど出産数が低い。米国で子供を持つアジア系の母親(25歳以上)の6割超が学位号以上を持っていることを見ると、その出産数の低さも納得がいく。「idiocracy(直訳すると「低能統治」)」というブラックコメディー映画があるのだが、この設定は現代の男女が500年冬眠して目覚めてみたら米国市民の知能指数が極端に下がっていたというもの。500年の間に頭がよい男女が子供を持つのを遅らせたり子供の数を減らす一方でそうでない男女が無計画に子供を持ってネズミ算的に増えて前者を駆逐した結果、米国を統治する者も低知能で国そのものが無計画になったと
いうのがその背景。

https://www.cdc.gov/nchs/images/databriefs/301-350/db332_fig02.png

リンク元:CDC(米国疾病予防管理センター)25歳以上の母親の最終学歴の割合


さて、わたしが米国に移住して就労して14年ほどになるが、この場所で出産して子育てをするのは、たとえ子供を持ちたいと願っていたとしても実際ほぼ無理だった。少なくともわたしが住む州は子育ての環境が非常に厳しい。まず産休・育休制度がしょぼい。うちの職場、正規雇用者は出産予定日の2週間前ほどまで勤務、産後3か月で復帰が基本である。それができないと非正規になるしかなく、その場合は医療保険を含む福利厚生が消える。復帰後は6週間のボンディング(親子の絆を深める)休暇が2回取得できることになっているのだが、これはただ単に雇用が保証されるだけで無給なので実は取る人が少ない。

学校に通うようになってもあんまり楽にはならない。うちの州ではかなり前から「鍵っ子」はいてはいけないことになっている。14歳までの子供だけで自宅にいることが禁じられているからだ。だから、15歳以上の兄姉が家にいない限り、下校後や長期休暇は祖父母などの社会資源に頼るか金を払って誰かにいてもらうことになる。さらに財政破綻状況で公立学校がすごいことになっているので、うちの職場は医師か看護師かを問わずみんな小学校から子女を私立に通わせている。そうなるとスクールバスがないので送迎をすることになる。

看護師が自宅でリモートワークをするのはほとんど不可能なので、女性が職場復帰するには生後3か月の乳児を置いていくことになる。この記事の中に、日本と比べて出生率が高い理由として親戚や友人によるインフォーマル(偶発的)なケアが期待できることを挙げているのだが、これは織り込み済みというか、これがないと両親のいずれかが自宅で勤務するか、仕事をあきらめて子育てに専念するか、あるいは誰かに金を払って代わってもらうかしかない。当然だけど料金が高いので、実際仕事をする意味があるのかみたいな話になる。

日本ではここ数世代で特殊出生率が著しく下がったが、米国でもそれは変わらない。女性が高等教育を受けて就労するようになれば、子供を持つことは「女性なら当たり前」ではなく人生の選択肢のひとつになる。

ただ、女性が子供を持つかどうかの社会的意味は日本と米国とでは必ずしも一致しない。日本国内の労働人口は子供の数に左右されるが、米国は移民が労働力となるから、少子化傾向にあるといっても異次元の少子化対策を打ち出す必要がない。


ところで米国の出産数を考える時に必ず言及されるのが婚外子の多さである。2021年で40.0%という公式発表があり、日本は2020年の内閣府のデータだと2.4%である。とはいえ、これにしても日本と同一には考えられない。おそらくもっとも大きな違いは法的な扱いだと思う。米国では結婚していない男女やその子女にも法的に同じ権利が保障されている。もともと配偶者控除なんてないし、確定申告時の控除も結婚していても事実婚でも同一である。うちみたいに子供のいない夫婦の方が子供のいる事実婚カップルよりも税制上ではよほど厳しい。

米国では時々「結婚なんて高所得者に許された贅沢」みたいな話を聞くけどその辺についてはよく理解ができない。子供が贅沢品だというならわかるんだけど、事実婚で子供が複数いて、結婚しないのは低所得だからというのはどういうことなのか。結婚手続きにかかる役所の手数料が払えないということなのか。米国の皆さんのことは移住して10年以上経ってもわからないことの方が多いし好きにしてくれていいんだけど。


文中のデータは、米国のものについてはCDC(米国疾病予防管理センター)、NCHS(米国国立衛生統計センター)が発表しているものを使用しています。日本のものは内閣府男女共同参画局と厚生労働省が発表しているものを使用しました。職場のものは院内規則によります。

 

 

2035年EV車問題

わたしが住んでいる州では、あと10年もすると新車販売はEV車のみが可能、という法律が施行されるという。ガソリン車はもちろんハイブリッドも新車販売が禁止されるらしい。

詳細は興味がないから詳しく見てないけど、数十年はグダグダになると思う。EV車の普及率はこの州では国内でダントツに高いらしいが、それでも1割に届かない。さらに州の南部ではEV車を候補に入れる人自体が少ない。

というのも、州の南部では電力供給が不安定だから。州南部に電力を供給する電力会社の電力設備が数年前に強風のために破壊されて発火、これによる大規模な山火事が起きた。あまりに被害が大きく州政府が「設備のメンテナンスをちゃんとしろ。はい罰金」とものすごい額の賠償金を科した。これに懲りた電力会社はメンテナンスに力を入れる代わりに「強風が吹いた日は電力を止める」という斜め上の方法で山火事を防ぐことにした。というわけで強風が吹くとそのエリアでは電力が止まるのである。たとえそれが家族親戚が集まる国民の休日であろうが、エアコンが止まったら年寄りが死にそうな夏の昼間でも止まる。本当に止まる。そしていつ電力が復帰するかわからない。電気が止まれば当然EV車の充電もできない。

日光のさんさんと降り注ぐ場所なので、じゃあソーラーパネルを導入したらいいんじゃないのかと思うだろうか。現在州政府によるソーラーパネル導入の補助があって若干お得でもある。

しかしここにも問題がある。ソーラー発電は晴れた日中が頼みだが、多くの人はその時間帯には仕事先にいて家で充電をするということができない。じゃあ蓄電池を設置して昼間の電気を貯めたらいいじゃない、と思うのだが、蓄電池は高価なうえに州政府の援助がない。現時点でソーラーパネルを導入する人たちの目的は、日中に得た電力を電力会社に売ることで夜間に使用する電力代を相殺あるいは軽減することである。蓄電池を導入することで電力会社と縁を切り、日中に貯めた電力を夜間に使うという自給自足を目指す人もいる。EV車をセカンドカーとして購入し、蓄電池代わりに家に置いておくという方法もあるが、価格から考えてこれにどれほどのメリットがあるのかはよくわからない。

そんなわけで州南部に住む人たちにとって「富裕者層の自家用車のうち一台がテスラ」あるいは「EV車は高いし電気が止まったらアウトだから今はいい」という代物である。法律が施行された後もガソリン車やハイブリッド車の使用が禁止されるわけではないから、ガソリンスタンドはこれまで通り営業する。アメリカに車検はないので、排気テストに通りさえすれば古い車だからといって費用がかかることもなく何十年でも同じ車に乗っていられる。さらに、ちょっとお隣の州に行ってガソリン車を購入して乗って帰ってきて地元で登録、ということも可能である。

というわけで数十年は街中をガソリン車が普通に走ることになる。アメリカの電力自由化は早かったが、消費者にしてみれば電力会社が好き勝手できるようになりました程度の話でしかない。新型コロナで電気代が上がったら二度と下がらないのもみんな最初からわかっている。

ところでうちでも数か月かけてかなり真剣にソーラーパネルの導入を検討した。ただ、日光が遮られないロケーションに20枚以上のソーラーパネルを設置できても、州政府からの補助金があっても、電力を売って初期費用を取り戻すまでに16年程度かかる計算になる。そして現在のソーラーパネルの寿命はせいぜい20年。というわけで導入を断念した。

発電機を買ったから強風が吹いて電気が止められても、自宅での必要最低限の電力は賄える。ガソリン万歳。

個人主義と同調圧力

日本では今でもマスクをしている人が多のだそうで、そこでは必ず日本の「悪しき性質」である同調圧力が取り沙汰される。アメリカではもう誰もマスクを着けていないのに、日本では同調圧力のために人々がマスクを外せない、とかいう新聞記事を読んだ。

マスク着用の是非はともかく、そこでアメリカを持ち出して日本を貶めるのはどうもしっくりこない。アメリカは世界最大の感染者・死亡者数を叩き出してるんだから、あちらさんが日本を見習ってマスクを着けたらどうなのかと。

英語で同調圧力のことをpeer pressureという。 アメリカに同調圧力はないという印象があるのだが、 言語は社会を映す鏡のようなもので、このフレーズがアメリカで使われているということは、その概念がアメリカ社会で普通に存在するということだ。

仕事をしていればことあるごとにポットラック(料理などの持ち寄り)に参加させられるし、そこそこ治安のいいエリアに一軒家を買えば外観を周りの家と同レベルに小綺麗にしておかないと世間体が悪い。王子は「前の家はよかったなー、植木の手入れを毎週しないとならないとかなかったもんなー」と言うけれど、手入れをしないのが普通、というエリアは要するに隙だらけなので犯罪が多いのだ。

さらに未成年だと同調圧力はより多くなる。「イケてる」グループの一員になる、あるいは自分がいじめられないために学校でいじめの尻馬に乗ったり、薬物やたばこ、電子タバコ(若者向けに香りづけされたものが販売されている)を使ったり、あるいは万引きをしたりする。「そんなことはしたくない」と断るという選択はもちろんあるけれど、翌日から学校での居場所がなくなるかもしれない。その辺りに関してはアメリカは日本よりもスクールカーストがはっきりしていてえげつない。親が教育に力を注がないことが多い公立の学校では特にその傾向が強いようで、王子は小学校から授業料のお高いキリスト教系私立校に通わせてもらったことをありがたいことだと言う。私立校は親の経済状態や倫理観がけっこう似たり寄ったりで生徒の成績や生活レベルも大差がない。そんなわけで身近にドラッグやら喫煙やらをたしなんだり生活に困って犯罪に走るというような学生がおらず、そういったことに煩わされることがなかったのだという。

その一方でこの国では個人主義の名のもと誰かから何かを指示されることを強く嫌う。新型コロナのパンデミックが宣言された2020年の冬、州政府の多くが同一世帯以外の人を招いた集まりを控えるように呼びかけたが、王子の家族のように「そんなことを政府に口出しされる言われはない」と考えた人たちが非常に多く、その後アメリカは世界最悪の大流行を引き起こした。日本では義務教育で「公共の福祉」という概念を教わるが、わたしの知る限りアメリカの義務教育でそういった概念を教わることはない。どうもアメリカ人にとって「自分以外の一般大衆のために何かを我慢したり行動を起こしたりするのはフィクションのスーパーヒーローくらいで、自分がするものではない」と認識している節がある。そしてそれを誰かからしましょうと言われると「それは自由の侵害だ、社会主義だ」と激しく抵抗する。

日本で震災後に被災した市民がコンビニで必需品を買うために列を作って並ぶ光景がこちらで報道され、職場で複数の同僚から「あれはどういうことか」と聞かれた。アメリカで天災があれば人々は暴徒化して店舗を襲って商品を略奪することが珍しくない。山火事で炎が迫るエリアは強制避難させられるのだが、その際対象エリアにつながる幹線道路は警察が封鎖する。そうしないとそこに入り込んで窃盗を働く輩が出るからだ。私が住む州である人種の地位向上を呼びかけるデモがあり、テレビ局はデモに乗じた市民がそのエリアの店舗のガラスを割って入り込んで略奪する様子をリアルタイムで報道した。日本だったらデモの参加者は自分の言いたいことを表現するだけ、もしかしたら警察や反対する人たちと暴力沙汰になることもあるのかもしれないが、近くの店舗に押し入って売り物の靴を奪って逃げるとかいうことはまず聞かない。ところでテレビで略奪の様子を見ていたら高価な商品を扱う高級ブランド店はどうやらガラスではなく分厚いアクリル板を使っているらしく、参加者が必死に叩いたり蹴ったりしても割れない。さすがアメリカの高級店はこういうことも想定内なのかと感心した。

さて、現在わたしが住む州では屋内・屋外を問わず基本的にマスクは着けなくていいことになっている。わたしは勤務時はマスクを着けることになっているのだが、店舗内など公共の場でもマスクを着用している。勤務先でウイルスに曝露されていないとは限らないし、みなさんが風邪症状があっても出歩くことをもう十分知っているからなのだが、職場以外の場所では「何マスクしてんだか」という視線を感じる。先日王子と出かけたコンサートで金属探知機を通るための長い列があり、マスクをしている人は王子を含めほとんどいなかった。マスクを着けたわたしをじろじろ見る人々の視線に気がついた王子が「もう着けなくていいんじゃないの」と言うので、「あれ、アメリカって他人と違うことを恐れなくていい場所じゃなかったの」と返したらはっとした顔をして「そうだよ」。王子おまえなに同調圧力かましてくれてんだよと。

それにしてもつくづく悔しいのは、アメリカでマスクを着けるかどうかが当時の大統領によって政治的な問題にすり替えられたこと。あれがなかったら、あの大統領が感染予防を重視して「社会全体の利益のために個人でできることをしよう、マスクを着けよう。それはまわりまわって君や君の大事な人を守ることにつながるのだ」と言っていたら、100万人を超えた新型コロナによる死者のうちどれほどが救われたかと思う。まあそれが言えないおっさんだから今回の中間選挙で大勝できなかったんだろうけど。

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