白いコート
ぐっと気温が下がって、コートがほしい季節になった。コートをひっぱりだすこの時期になると思い出す光景がある。
中学生の頃わたしの家は貧乏だった。もちろんこういった話ではわたしたちよりもひどい話がいくらでも転がっていることは承知だけれど、どれくらい貧乏かというと、どうやら当時共稼ぎをしていた両親の合計月収が今わたしがひとりで稼いでいる月収よりも少なかったというくらい貧乏だったらしい。その収入で5人を食わせ住宅ローンを払いつつ子どもの教育資金を貯めていたわけだから、それは厳しい節約生活にもなるというものだ。
中学では制服があったから、学校に行くために洋服を購入する必要はなかった。だから家では小学生の頃に着ていた服から名札を外して着ていた。それほど洋服に興味がなかったというか、興味を持っても買っちゃもらえないというか、本が読めて絵が描ければそれでよかったというか、それほど不満でもなかった。
そんなある週末、母と隣町にあるデパートで買い物をしていたら、同級生で同じ部活の女の子に会った。彼女も家族と買い物に来ていたようだった。彼女は学校では教師にひどく嫌われている問題児タイプの女の子で、わたしに「え、あんた自分がかわいいと思ってんの?マジで?」と言ってわたしがブサイクであることを教えてくれた人だった。なんとなくそうじゃないかと思っていたけれどやっぱりそうだったのか、と聞いたときにはちょっと悲しかった。今思えば早いうちにそこがはっきりして方向転換ができたのはよかったのかもしれない。顔立ちだけでなく身長から何から日本市場向けではなかったが、その後転向した欧米市場では比較的安定した評価を受けることができた。
ともあれそのデパートの下着売り場でこの同級生はわたしを見て「何その服」と笑った。冬なのにトレーナーにスカートという寒い、ついでに身長にも合わないいでたちがおかしかったのだろう、そして「ほら」とくるりと回って着ているものを見せた。白地にピンクのラインの入った柔らかなアンゴラの膝下までのコートの裾から長めのスカートがのぞいていてとてもきれいだった。
今でもその光景を忘れていないのだけれど、それはうらやましかったからというよりも、目の前で娘が着ているものを笑われた母はどう思っただろうと思ったからだった。
彼女の家庭がそれほど裕福というわけではなく、彼女の両親が持ち家に興味がなく、子どもが彼女ひとりで、さらにこの彼女も高等教育を受ける予定がなかったから、可処分所得がその装飾品にまわったというだけのことだったのはそのころのわたしにもわかっていた。もっと言えば、「ふん、長屋のくせに」と思っていた。
それでもふしぎなことに彼女がわたしの目の前でくるりと回って見せたのを、それから20年以上たった今も毎年のように思い出す。就職して以来、わたしが洋服や宝飾品に年間何十万と費やすのは、信じたくないが実はそんなところに理由があるんだろうか。
中学校を卒業後、「IQが80なくても入れる」という評判の高校に進学した彼女が卒業を待ってか待たずで結婚し、子どもを3人儲けたというところまでは12年前の同窓会で聞いた。そのころわたしはバイトを掛け持ちしながら看護学校に通っていて、やっぱり着るものには苦労していた。かえすがえす残念なのは当時ユニクロがなかったことで、H&Mがほしいとは言わないユニクロでいい、いやしまむらでもいい。あってほしかったものだ。
そして今日、わたしの結婚を祝うために久しぶりに会って食事をした地元の友人から彼女が最近自殺したと聞いた。きれいな洋服を手に入れるのも結婚するのもわたしより20年早かった彼女の人生は、主役の彼女にとってどんなものだったんだろうか。
彼女は今も、大好きなスエードのコートの袖に腕を通すわたしの頭の中で白いコートをひるがえして笑っている。
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