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日本人CRNA

職場のパソコンの前に何枚かの書類が散らばっていて、誰かのカルテに入れる必要があるものかな、と思って目を通したら、「採用に関する評価のお願い」だった。

州内の病院の人事部からうちの外科で時々勤務している若い麻酔科医に宛てたもので、要するに「この人がウチの病院のCRNAの求人に応募してて、推薦者としてあんたの名前が挙がってるから、悪いけどどんな人だか教えてもらえると助かるんだけど」という内容だった。

そういう推薦依頼は珍しくないので普段ならそのままスルーするのだけれど、この書類がわたしの気を引いたのは、応募者の名前からこの人が日本人女性だと思われたからだった。

こちらでよく見かける日系二世人たちは「ジェニファー・ナカムラ」みたいな、姓は日本名で名前は女性であることがわかりやすいよう洋名がつけられることが多い。女性が結婚しても日本にルーツがあることがわかるようにミドルネームを日本名にすることはあるけれど、実際には姓が日本名でなくなると、顔はコッテコテの日本人でも通常使用される姓名からは日系であることがまったくわからなくなる。

わたしのように日本出身で外国人と結婚した日本女性は、「トモコ・スミス」のような、「日本名+外国姓」になる。そして「トモコ・ナカムラ」といった「日本名+日本姓」の女性は「日本出身の独身女性」、あるいは「日本出身で日本人の男性と結婚した女性」であることが多い。後者ではご主人の駐在に一緒についてきました、といったパターンが多いんじゃないんだろうか。

つまり、このナカムラトモコさん(仮名)はおそらく日系二世ではない日本出身の女性で、なおかつ米国でCRNA免許を得るまでに至ったという経歴の持ち主だということになる。

さて、CRNA(麻酔専門看護師)というのは看護系ではけっこう大変な免許で、大卒のRN(看護師)がCRNA修士課程を修了すると受験できる国家資格である。この修士課程に応募するには看護学士を持っていること、そしてRNとして超急性期、つまりICUやCCUでの臨床経験が数年以上あることが条件になっている。

麻酔科医がいくつかのORを掛け持ちする一方でCRNAはひとりの患者につききりで循環や呼吸の観察をする。患者の既往歴やデータを把握した上で術中管理を行い、負担が少なくてすむよう鎮痛剤を適宜使用し、術中に問題があれば呼吸器の設定変更や投薬をし、安全に手術が終了するよう努めるのが仕事である。幅広い知識や迅速で的確な判断力が求められるのはもちろん、執刀医や麻酔科医やORナースや周術期ナースやらORアシスタントやらといったみなさんと協働するコミュニケーションスキルがないとお話にならない。

そのせいかCRNAは「聡明で人当たりのいい、アサーションに長けた人格者」やら「人格には問題があるがえらい切れ者」が多く、ついでにその多くが大変美しい。

ORから患者を連れてくるのはCRNAなので申し送りをもらうんだけど、頭はいいわきれいだわ、いやあ人生は不公平だよね、と思いながら聞いている。術前に点滴が難しい患者で困っていると駆血帯を持ってきて、たいがいはさっくり入れながら「こういうケースではこうすると入れやすいのよ」とレクチャーしてくれたりする。ちなみに手伝いもせずに「入室時間なんだから早くしてくれない?」と急かすのがORナース。勤務を始めてしばらくした頃にロッカーで着替えてたらORナース4人に囲まれて小突かれたことがあったけど、どこもみんなこんなに性格が悪いのか。

CRNA課程に進むにはもともとの実力が必要だけど、それにくわえて莫大な金もかかるし、ついでに履修中にはとんでもない量の勉強が求められる。そして晴れてCRNAの免許を取得して就職した日には、RNとは比べ物にならない年収が待っている。一説によると平均年収は日本円にして1300万程度。RNの初年度の年収が650万くらいと言われているから、普通に倍ということになるんだろうか。

そんなわけでこの麻酔科医の書類の日本人女性の名前を見たとき、純粋に「どえらい日本人がいるものだ」と思った。渡米して看護学士を取得して臨床で超急性期看護を経てCRNA課程を修了して免許を取得するというのは言うほどたやすいことではない。金と時間は言うに及ばず、英語力は完璧以上でないとならないし、急変時の対応も完璧でないとならない。わたしには絶対無理な話。

きのう職員食堂でこの麻酔科医を見かけたので、「この間、トモコ・ナカムラの推薦状を書いてましたよね、この方は日本人なんですか。自分が日本人なのでちょっと目に留まったんです」と聞いてみた。

うん、日本出身だったと思うよ、出身はどこって言ってたかな、トーキョーとかヨコハマとか、そういうメジャーな都市だったと思う。大学からこっちだったんじゃないかな。たしか僕より若かったはず、みたいなことを言っていた。

日本の看護大学を出てこっちのCRNA修士過程に進むのは難しいので大学もこっちだろうとは思っていたけど、日本出身ならかなり努力をしたんだろうと思う。年齢的に若いのであればおそらく日本の看護師免許は持っておらず、こちらでやっていくつもりでいるんだろう。

すげえ…でそれ以上思考が進まないくらい衝撃的。縁があったら一度一緒に勤務をしてみたいものだと思う。

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かいるびRN@外科勤務中」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。ネットサーフィンでたどり着きました。かいるびさんの書かれているアメリカのCRNAの様子、とてもよく伝わりました。

日本でも麻酔業務に看護師が関わるという教育が始まりその意義や可能性について論議がはじまりつつあります。かいるびさんは日本でも看護経験がありますか?
日本の看護師さんに麻酔を教えれば、アメリカのCRNAのような役割を果たすことは可能だと思われますか?もしよろしければ、ご意見をお聞かせいただけないか、と思いました。よろしくお願いいたします。

日本の麻酔看護さま、おいでいただきありがとうございます。

さて、日本での麻酔業務に看護師がかかわることについてですね。

わたし自身はCRNAだけでなく、日本が米国式の医療システムや看護システムを導入することについて、あまり積極的に意見を持ちたくないと思っています。何ができるかよくわからないというのがその理由です。

看護職が生まれるに至った経緯やその発展、医療界や社会での立ち位置、教育システムや待遇など、日本と米国とではいろんな点が異なっています。それはもともとの文化が違うこと、医療に対する政府や一般市民の考え方が違うことが大きいので、どちらがいいとか悪いとかといったものではないと思います。それぞれが合った方向に発展していくものだと思います。

こちらで一緒に勤務している米国人CRNAはここで書いているように上昇志向があって聡明で、超急性期看護を経てCRNA課程を修了した人たちです。勤務では麻酔科医の監督を受けながらもかなりの権限を持ち、それに伴う責任を負い、実力に見合った報酬と名誉とを受けています。

医療制度をまったく無視して人間の素質だけを考えるのであれば、日本の看護師の向上心や勤勉さを考えれば、ICU/CCUなどの超急性期を経験した日本人看護師に教育を施して麻酔業務をできるようにすることは可能だと思います。強い責任感と努力で、手術を受ける患者さんのためによい仕事をする存在になりうると思います。

とはいえ、医療制度を無視するわけには絶対いかず、それゆえに日本にCRNA制度をそのまま持ってくることは非常に難しい。CRNAは現在特定看護師のひとつとして捉えられていて、日本で独立した国家免許として制定されるとは考えにくい。そして、医師免許を持たない者にそれほどの術中管理の権限を持たせることも難しいので麻酔科医不足の解消や費用削減につながるかも疑問である。さらに、努力の結果として与えられる報酬はCRNAとして誇りを持って勤務できる収入や社会的地位ではなく、看護師本人のやりがいとか充実感といったものがメインになりかねない。そんなわけで、CRNA制度を日本に持ってきて何が変わるのか、当の看護師にどんなメリットがあるのかがあまりよくわかりません。

わたしに体力も向上心も欠落していて大変ヘタレな回答で恐縮なのですが、こんな気持ちです。でもほんとにベテランCRNAはすごいです。痛くないわ気持ちいいわで術後管理の難易度ががまったく違います。


周麻酔期看護課程を設定しているのは、病院が米国の看護システムを取り入れていることで有名なところですね。現在のことはわからないけれど、その昔勤務していた当時は馬車馬のように働いていたのにものすごく給料が安かったです。

かいるびさま

お忙しい中、丁寧かつ的確なコメントをありがとうございました。
私はその馬車馬のように働いてお給料の少ない病院のある大学の者ではありませんが、
周麻酔期看護に関心を持っています。
アメリカのCRNAに憧れがありますが、
アメリカに行ってまでというところまではいきません。
日本の看護師も、そんな風になったらいいなあ、と思っていますが。

日本の看護師と、アメリカのCRNA、両方を目の当たりにされて
お仕事をされているかいるびさまのご意見をぜひ伺ってみたいと思いました。

そうですね。日本とアメリカでは、いろんな違いがありすぎますね。
導入に積極的に意見を持ちたくないというお気持ちも、すごくよくわかりました。

かいるびさまのご意見は、すべてとても貴重です。
とくに目に留まったのは「名誉を受けている」というところです。
この「名誉」という言葉は、一般に働く日本の看護師について語るときどんなに優秀な看護師であっても、
よほど秀でた業績でもない限り、まずありえない表現ですね。
どんな風に働いていたら、名誉をうけているとまわりから言われるようになるのか、、。
実際のCRNAの仕事ぶりを見てみたいです。

また「やりがい」や「充実感」がメインですまされてはいけない、というのも、ほんとうにその通りです。
責任とリスクが大きくなるのに、
やりがいだけでは、やってられません。

いろいろ考えさせられました。
丁寧にお答えくださり、ほんとうにありがとうございました。
また質問させていただくことがあるかもしれませんが、
そのときは、よろしくお願いいたします。

日本の麻酔看護さま、

ちょっと思ったのですが、こちらで「周麻酔期」というとRNの範疇になっていて、ひとつの看護領域として独立しています。うちの外科だと、術中をのぞく術前・術後それぞれ2時間がその対象で、術前は患者・家族への流れの説明と全身状態の観察、具体的な準備、術後は抜管直後でほとんど覚醒していない患者をORから迎えて術創や呼吸・循環などの観察をし、覚醒した患者の疼痛ケアをします。「周麻酔期看護」って英語で何て言うんだろうとちょっと考えたら自分の領域でびっくりしたという話。CRNAの領域は術中で、さらに「看護」ではない独立したものなので、日本語にするとちょっと紛らわしいですが、それが日本の周麻酔期の考え方だということになるのでしょうね。

今後、日本の周麻酔期看護がどういう形で発展していくのか、また社会的認知を受けるようになるのか、興味深いところです。

さて、以前うちの師長が「あんたたち、それぞれ1日ずつORでCRNAにくっついて見学してきなさい」と言い出したことがあって、それに甘えて行かせてもらったことがあります。ベテランさんの仕事は華麗でした。術中にこんなことをするから術後にこんな観察が必要なんだなといろいる勉強させてもらったのですが、ベテランの仕事は簡単そうに見えるから困る、わたしには無理だと思っていたら、同じCRNAについて見学させてもらったRNはこれがやってみたいとその後CRNAを目指してパートタイムで大学に行き始めました。これが向上心の違いかと痛感しました。

さて、この手術見学が勤務扱いで普通にひとりにつき1日分、総額1万ドル行くんじゃないかという給料が発生したというのがアメリカのとんでもないところだと恐ろしく思ったのですが、金銭という形での評価は仕事をする上では大切なものだと改めて考えさせられました。雇用者に対する期待や評価がもっともわかりやすい形で提示されるのが金なのかもしれません。職業や企業の社会的地位だってある程度収入で決まるところがありますから。

地が出て、だいぶ下世話な話になりました。日本の麻酔看護さまがどんな形で日本の看護に関わっているかは存じ上げませんが、お互いぼちぼちやりましょう。

かいるびさんへ
ブログ拝見して、大変興味が湧きました。私は日本で看護師として働いておりますが、海外のCRNAに興味があり、色々調べている中でこちらのブログに出会いました。日本人の方でCRNAの方とお会いしたこともありますでしょうか?また、このブログの中で記載されているトモコ様にはその後お会いできたのでしょうか?

satomiさま、
勤務おつかれさまです。
返信が遅くなり大変申し訳ありません。また、お越しいただきありがとうございます。

さて、その後トモコさん(仮名)にお会いすることhありませんでした。うちの病院は給与がやっすいことで有名だからじゃないかな。客層は結構いいのですが…

CRNAは見ているだけでも大変そうですが、いろんな症例が見られる!と前向きな人が多いような気がします。日本でも一部の病院で周麻酔期専門看護師を設けていると聞きました。周麻酔期というとこちらでは術前とリカバリー室も含めるので若干ニュアンスが違うような気がしますが、どんな業態区分なんでしょうね。

アメリカで医療者として勤務するのは厳しい状況が続いていますが、様子を見つつがんばってください。


それにしてもあれですね、ニフティ、海外からのコメントを弾いているようです。このコメントはスマホからVPN経由で投稿しています。最近そういうの多いの、メルカリとかヨドバシとか…

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