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個人主義と同調圧力

日本では今でもマスクをしている人が多のだそうで、そこでは必ず日本の「悪しき性質」である同調圧力が取り沙汰される。アメリカではもう誰もマスクを着けていないのに、日本では同調圧力のために人々がマスクを外せない、とかいう新聞記事を読んだ。

マスク着用の是非はともかく、そこでアメリカを持ち出して日本を貶めるのはどうもしっくりこない。アメリカは世界最大の感染者・死亡者数を叩き出してるんだから、あちらさんが日本を見習ってマスクを着けたらどうなのかと。

英語で同調圧力のことをpeer pressureという。 アメリカに同調圧力はないという印象があるのだが、 言語は社会を映す鏡のようなもので、このフレーズがアメリカで使われているということは、その概念がアメリカ社会で普通に存在するということだ。

仕事をしていればことあるごとにポットラック(料理などの持ち寄り)に参加させられるし、そこそこ治安のいいエリアに一軒家を買えば外観を周りの家と同レベルに小綺麗にしておかないと世間体が悪い。王子は「前の家はよかったなー、植木の手入れを毎週しないとならないとかなかったもんなー」と言うけれど、手入れをしないのが普通、というエリアは要するに隙だらけなので犯罪が多いのだ。

さらに未成年だと同調圧力はより多くなる。「イケてる」グループの一員になる、あるいは自分がいじめられないために学校でいじめの尻馬に乗ったり、薬物やたばこ、電子タバコ(若者向けに香りづけされたものが販売されている)を使ったり、あるいは万引きをしたりする。「そんなことはしたくない」と断るという選択はもちろんあるけれど、翌日から学校での居場所がなくなるかもしれない。その辺りに関してはアメリカは日本よりもスクールカーストがはっきりしていてえげつない。親が教育に力を注がないことが多い公立の学校では特にその傾向が強いようで、王子は小学校から授業料のお高いキリスト教系私立校に通わせてもらったことをありがたいことだと言う。私立校は親の経済状態や倫理観がけっこう似たり寄ったりで生徒の成績や生活レベルも大差がない。そんなわけで身近にドラッグやら喫煙やらをたしなんだり生活に困って犯罪に走るというような学生がおらず、そういったことに煩わされることがなかったのだという。

その一方でこの国では個人主義の名のもと誰かから何かを指示されることを強く嫌う。新型コロナのパンデミックが宣言された2020年の冬、州政府の多くが同一世帯以外の人を招いた集まりを控えるように呼びかけたが、王子の家族のように「そんなことを政府に口出しされる言われはない」と考えた人たちが非常に多く、その後アメリカは世界最悪の大流行を引き起こした。日本では義務教育で「公共の福祉」という概念を教わるが、わたしの知る限りアメリカの義務教育でそういった概念を教わることはない。どうもアメリカ人にとって「自分以外の一般大衆のために何かを我慢したり行動を起こしたりするのはフィクションのスーパーヒーローくらいで、自分がするものではない」と認識している節がある。そしてそれを誰かからしましょうと言われると「それは自由の侵害だ、社会主義だ」と激しく抵抗する。

日本で震災後に被災した市民がコンビニで必需品を買うために列を作って並ぶ光景がこちらで報道され、職場で複数の同僚から「あれはどういうことか」と聞かれた。アメリカで天災があれば人々は暴徒化して店舗を襲って商品を略奪することが珍しくない。山火事で炎が迫るエリアは強制避難させられるのだが、その際対象エリアにつながる幹線道路は警察が封鎖する。そうしないとそこに入り込んで窃盗を働く輩が出るからだ。私が住む州である人種の地位向上を呼びかけるデモがあり、テレビ局はデモに乗じた市民がそのエリアの店舗のガラスを割って入り込んで略奪する様子をリアルタイムで報道した。日本だったらデモの参加者は自分の言いたいことを表現するだけ、もしかしたら警察や反対する人たちと暴力沙汰になることもあるのかもしれないが、近くの店舗に押し入って売り物の靴を奪って逃げるとかいうことはまず聞かない。ところでテレビで略奪の様子を見ていたら高価な商品を扱う高級ブランド店はどうやらガラスではなく分厚いアクリル板を使っているらしく、参加者が必死に叩いたり蹴ったりしても割れない。さすがアメリカの高級店はこういうことも想定内なのかと感心した。

さて、現在わたしが住む州では屋内・屋外を問わず基本的にマスクは着けなくていいことになっている。わたしは勤務時はマスクを着けることになっているのだが、店舗内など公共の場でもマスクを着用している。勤務先でウイルスに曝露されていないとは限らないし、みなさんが風邪症状があっても出歩くことをもう十分知っているからなのだが、職場以外の場所では「何マスクしてんだか」という視線を感じる。先日王子と出かけたコンサートで金属探知機を通るための長い列があり、マスクをしている人は王子を含めほとんどいなかった。マスクを着けたわたしをじろじろ見る人々の視線に気がついた王子が「もう着けなくていいんじゃないの」と言うので、「あれ、アメリカって他人と違うことを恐れなくていい場所じゃなかったの」と返したらはっとした顔をして「そうだよ」。王子おまえなに同調圧力かましてくれてんだよと。

それにしてもつくづく悔しいのは、アメリカでマスクを着けるかどうかが当時の大統領によって政治的な問題にすり替えられたこと。あれがなかったら、あの大統領が感染予防を重視して「社会全体の利益のために個人でできることをしよう、マスクを着けよう。それはまわりまわって君や君の大事な人を守ることにつながるのだ」と言っていたら、100万人を超えた新型コロナによる死者のうちどれほどが救われたかと思う。まあそれが言えないおっさんだから今回の中間選挙で大勝できなかったんだろうけど。

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