日本の看護にまつわるあれこれ

今後の方針

EPAという経済協定に基づいて来日した外国人看護候補生の国試合格率がふるわないので国が「いっそ英語とか母国語とかで国試受けてもらったらいいんじゃね?」と言い始めて企画された検討会、「看護師国家試験における母国語・英語での試験とコミュニケーション能力試験の併用の適否に関する検討会」がその会合をすべて終え、正式な結果報告書その概要とが公表された。

これは検討会の報告書なので、こんな意見が多かった、こんな意見もあったという報告のみで、今後具体的に何をするかが書かれているわけではない。厚労大臣が今後の方針を決める際には参考にしたらしく、来年以降の国試については「とりあえず日本語のみ」「外国人のみ特例として試験時間延長」「漢字はすべてふりがなを振る」という方針を記者会見で発表している。

2日ほどまえに101回看護師国家試験の合否発表があり、外国人受験生の合格率は11.3%と、昨年の4%から3倍近くまで増えている。試験時間延長と漢字のルビ振りで来年はどうなるだろうか。

この間担当した患者さんに「この病院はホテルみたいできれいだね。でも何より、医師や看護婦さんが英語を話すのが何よりいいよ」と言われた。ネイルサロンならともかく、知的専門職にカタコトの英語話されると実際回れ右して帰りたくなるよね。

パブリックコメント その後

昨年12月末から1月末にかけてのひと月で募集された看護師国家試験についての厚労省のパブリックコメント募集のその後。外国人の看護師候補生がまともに国家試験に受からないので、英語か母国語で国家試験受けさせたいんだけどどう思う?というものだった。

終了から6週間、いまだに結果報告のページには上がっていないものの集計はとっくに終わっている。2月中旬に行われた厚労省の「看護師国家試験における母国語・英語での試験とコミュニケーション能力試験の併用の適否に関する検討会」、3回目の会合では結果が発表されていて、結果報告が会合資料としてHPに載っている。

それによると、56人の医療従事者を含む144人が回答。「英語で国家試験を受けたらいいよ派」が35.4%、「母国語で受けさせてやんなよ派」が31.3%、「日本語で受からないなら免許なんかくれてやらんでいい派」が33.3%。そんなわけで、日本人の66.7%が「日本語で看護師国家試験に受かる言語力はなくても可」と考えているらしい。

さて、回答者を医療者のみに絞ると様相は一転する。「英語で」16%、「母国語で」25%、「日本語で」59%。おもしろいのは、「医療従事者」の回答者の過半数が「外国人候補生受け入れ施設の長あるいは医療従事者」であることだ。実際に外国人候補生を指導したり一緒に勤務したうえでこの件に反対というのは大変興味深い。

一般の回答者のみなさんはおそらく「難しい日本語の壁に悩む健気な外国人」に肩入れしたんだろうが、近い将来、日本語の国家試験に受からないレベルの外国人に自分や家族が医療行為を受けることについても同じ意見を持つのか。

ちなみに、この会合の論点整理(案)を見る限りでは、どうもこの会合の結論は「やっぱり日本語以外での国試は無理っぽい」というものだった。何をもって「看護婦さんするのに十分な日本語」という線引きをするのかとか、コミュニケーション能力を見るならマーク試験じゃ不十分じゃないのとか、誰がその試験を作るのとか。そして何よりも致命的なのは、日本語の国家試験をそれぞれの言語に的確に翻訳することが困難であるということ。言語はその文化を反映するものだし、医療にもその国の文化がある。国家資格試験としての質を保持しつつ、内容を改変することなく原語に忠実に翻訳するのは確かに大変難しいことだと思う。

このアンケートには自由記載欄があったのだけど、「いい処方箋を書こう」という記載があったり(誰がだ)、「いずれ日本人も英語で試験やコミュニケーション試験を受けていい時期が来る」という記載があったり、大変楽しく拝見しました。言語はその国の主権を表すものだから、日本人が英語で看護師国家試験を受ける状況って、英語公用国の植民地になるとかいう話?

パブリックコメント募集

先月開かれた「看護師国家試験における母国語・英語での試験とコミュニケーション能力試験の併用の適否に関する検討会」のパブリックコメント募集が始まったよ!

直接リンクしていいんだろうか。厚労省HP内「看護師国家試験における母国語・英語での試験とコミュニケーション能力試験の併用の適否に関するご意見の募集について」。

免許取得が臨床に出ることが前提であることを考えれば、外国語での国家試験受験が検討されていること自体がおかしいけど、声を上げないと実現しそうな昨今の日本。政治に関心のないわたしのようなやつまでこんなことを言い出すくらいのヤバさ、ということです。1月25日までの募集、郵送・ファクス・メールで回答できます。

ふしぎな検討会

外国人の看護師国家試験合格率が目も当てられないほどひどいので、国がルビ振りやら英語併記やらの温情措置をとっていたがまともな数字が出ない。そんなわけで今度は「いっそ母国語で国試受けさせちゃったらいいんじゃね?」という案が出ている様子。

当初は滞在3年間で国試に受からなければ帰国する「外国人看護研修生」だったが、実際はどいつもこいつも国試に受からないので期限を過ぎた外国人も国試が不合格でも点数によっては日本にいていいことになり、その頃から呼び名が「外国人看護候補者」になんとなく変わっている。

国は臨床で医療を受ける患者の大多数を占める日本人のことはけっこうどうでもいいから、とりあえず外国人を臨床に出そうよ、という方針でいるらしい。そうでなかったら、こんな検討会自体を開こうと思わない。というか、ここって「母国の免許があるんだから無試験でいいんじゃないんですか」という検討会でなかっただけよかったと思うところなのか。

というわけで引用ふたつ。

引用ここから―――

母語・英語での看護師国試は必要か―厚労省検討会が初会合 医療介護CBニュース 12月9日

経済連携協定(EPA)に基づいて来日した看護師候補者の国家試験の合格率を上げるため、厚生労働省は9日、「看護師国家試験における母国語・英語での試験とコミュニケーション能力試験の併用の適否に関する検討会」の初会合を開き、候補者の母国語や英語による試験実施の是非をめぐる議論を開始した。同検討会では、日本語のコミュニケーション能力を測る試験の併設についても議題とする。関係団体などから意見を聞くとともに、国民から意見を募り、その結果を踏まえて年度末に検討結果をまとめる方針。

この日の議論では、患者の安全や医療の質が保てないとして、日本語以外での試験実施に否定的な構成員が多かった。林正健二構成員(山梨県立大看護学部教授)は、看護師の業務として、看護記録をつけたり医師の指示を理解するためには、「話すだけではなく、読み書きができる能力が絶対に必要」と指摘した。また、熊谷雅美構成員(済世会横浜市東部病院副院長・看護部長)は、「管理する立場としては、試験合格後に就業すると、(日本語以外での試験実施は)看護の能力を担保するのに大変厳しいと思う」と述べた。

一方、加納繁照構成員(日本医療法人協会副会長)は、「(候補者を)受け入れている病院は、かなり負担を掛けて、頑張って教育している。進歩的な話にしていただきたい」と延べ、合格率を上げるための議論の深化を呼び掛けた。

―――引用ここまで

引用ここから―――
日本看護連盟ニュース 2011年12月13日
外国人看護師国家試験、母国語・英語試験導入に反対意見相次ぐ

12月9日、厚生労働省は、経済連携協定(EPA)で来日している外国人看護師候補者の国家試験の実施方法について議論する「第1回看護師国家試験における母国語・英語での試験とコミュニケーション能力試験の併用の適否に関する検討会」(座長=中山洋子・福島県立医科大学看護学部教授)を開催した。

平成20年に日本がフィリピン・インドネシアと締結したEPAでは、経済連携のため両国から特例的に看護師候補生を受け入れると定められている。過去3年間で両国合わせて573名が来日しているが、看護師として就労するために必要な国家試験の合格者数は過去3年間でたった19名。合格率が著しく低いことが問題となっている。外国人看護師候補者が受ける試験は日本人が受けるものと同じで、語学やコミュニケーション能力等が最大の障壁だった。そこで今年の試験からは、難しい漢字へのふりがな付記や疾病名に英語を併記するといった対策が図られ、合格者が前年の3名から16名へ増加した。今回の検討会では、更なる合格率向上のため、試験を日本語ではなく、母国語または英語で回答できるようにする意見が上がっている。

しかし、構成員からは厳しい声が相次いだ。藤川謙二構成員(日本医師会常任理事)は「外国人看護師を受け入れるために日本の医療の質を落とすのか」と述べ、花井圭子構成員(日本労働組合総連合会総合政策局長)は「日本語能力不足により、薬や医療機器名を間違えたり、連絡事項に齟齬が起きないか」と患者の立場に立った不安を表した。また、小川忍構成員(日本看護協会常任理事)は「患者の安全を第一に考えるべき。日本人でさえ医療事故に対して不安を抱えている。外国人看護師を医療事故の加害者にさせないためにも慎重になるべき」と語った。

林正健二構成員(山梨県立大学看護学部教授)は、EPAによって来日した看護師候補者が特例として日本語能力試験を免除されている問題を指摘。「コミュニケーションは話すだけでなく、読み、書きも重要。十分な日本語能力がなければ看護記録も作成できない。記録がもし間違うことがあれば、診療報酬の算定に支障をきたす」と注意を促した。

実際に現場でインドネシア人を受け入れている熊谷雅美構成員(済世会横浜市東部病院副院長・看護部長)からも「臨床の立場でいうと、看護師試験を受けた後で日本で就業することを前提としているならば、日本語能力なくして、看護の能力は担保できない。(日本語による)国家試験が通った後に働くことを前提にするべき」という意見が出た。

この検討会は以降3回開催され、来年3月にとりまとめが行われる予定。

―――引用ここまで

この件に関しては国民のご意見を募集する予定らしい。今のところ案のみで、実際のパブリックコメントや国民のご意見募集のページに掲示はない。

ただ、国試の日本語はもうちょっと砕いてもいいかもしれないとは思う。お役人さんが自分たちの慣れた「確実な日本語」で作ってくれるので、たまに読みづらくてわかりづらいところがある。ネイティブだから「きっとこういうことだよな」って見当つけて回答できるけど、外国人の皆さんにはしんどいかも。でもだからって母国語で受けさせるのはどう考えてもおかしいよね。

ちなみに、日本看護協会はこの会合について正式な見解を出していないが、文中にあるように常任理事がこの会合の構成員で会合の中でがっつり反対している。また日本看護協会が今年3月に第100回看護師国家試験での外国人看護師候補者の合否結果を受けてマスコミ向けに出した見解の中で、外国人向けのルビ振りや英語併記についてかなり厳しい批判をしている。以下に一部引用する。

「患者の安全を守って日本の医療現場で働くためには、医療従事者との共通言語である専門用語の理解は最低限必要な能力です。専門用語の理解不足から外国人看護師を医療事故の加害者にしないためにも、ご理解をいただければ幸いです。

また、外国人看護師候補者の看護師国家試験の合格率が低いのは、インドネシアおよびフィリピン両国と合意したEPAの枠組みにおいて、日本語能力を問わず受け入れていることが原因です。外国人看護師を受け入れている諸外国においては、医療現場で働く上で必要な言語能力を審査し、その上で受け入れています。現状では日本語での看護師国家試験が言語能力確認の機会となっており、その意義を改めて認識する必要があります。

今後、国家試験合格率を上げるためだけではなく、来日された外国人看護師候補者の皆様の人生がEPAに翻弄されず、日本での経験がインドネシアおよびフィリピン両国の医療、看護の発展につながるようにするために、来日する前の段階で、あらかじめ日本語能力を審査することを検討すべきと考えます。」

医療訴訟のトレンド

日本がTPP(環太平洋経済協定)に参加すると医療はどうなるのか、もしかしてこんなことが普通に起きるのかと読んでちょっと怖くなった話。医師によって書かれたもので、もともと経済サイトに掲載されたものがメールマガジンに転載されたもの。医療崩壊というのはよく聞くけど、医療消滅ってすごいね。

転載していいものかどうかわからないので、リンク貼っときます。

自動車事故に遭った女性が国立大学病院に運ばれて手当てを受け、その後出現した後遺症について「適切な処置が行われなかったため」として患者に保険金を支払った保険会社が訴えを起こしたもの。保険会社は保険金の半額を大学病院が負担すべきだとしている。金額は1億7500万円。

この訴訟が、遺族を原告とする訴訟とどう違ってどう問題なのかはリンク先に詳しいが、要するに「ミスを明らかにして同じことがおきないようにしてほしい」ということを求める訴訟と「お宅さんのミスのおかげで保険金を支払わないとならなかったから金払って」という訴訟との違いである。個人保険が増えるとこういう訴訟が医療訴訟のトレンドになるのかもしれないね。

うちの病院を含めてこちらの病院は経営者と医療者とが分かれていて、お互い牽制しつつ(「おまえらちったあ節約しろよ」「患者の安全のために必要だからそれくらい捻出しろや」)儲けが出るようにしているのだが、日本は国が医療費を安く抑えていて、さらに病院のトップが医師であることが多いので、病院はあんまり儲からない。研究好きな医者が多かったり良心的な医者が多かったりすると、さらに持ち出しが増える。

だから損害賠償だなんだと毟られるとけっこうしんどいというか、んじゃもうやめちゃおうかみたいな話になるし、医者もリスクの高い分野を回避するようになる。おかげで医学生が皮膚科だの耳鼻科だのばっかり志望するようになった。そうでなくても肩で息をしながら歩いているような医療界に、後ろから助走をつけて飛び蹴り食らわすのはやめた方がいいんじゃないかと無関係ながら思う。

地域によってはお産難民みたいはことが起きているようだけど、実家のあたりもここ15年くらいで産婦人科が減って婦人科ばっかりになりました。

言葉の壁

引用ここから―――

別の患者検査、配膳間違え…外国人に言葉の壁―看護師候補者の実態調査・厚労省 

時事通信社 12月9日

外国人が日本で受ける看護師国家試験の言葉や、コミュニケーション能力について議論する厚生労働省の初会合が9日開かれ、同省が明らかにした調査で、看護師候補者として医療機関で受け入れられた外国人がコミュニケーションに苦しむ実態が浮かび上がった。

調査ではインドネシア人候補者の問題事例を集計。それによると、エコー検査への患者移送を頼まれたものの、名前を聞き違え、別の患者を連れて行ったり、患者の名前が読めず、配膳を間違えた結果、別の患者に食事を提供してしまったりしたケースがあった。

また、入浴予定の患者を迎えに行くよう指示を受けた際に「分かりました」と答えたものの、実際は迎えに行かなかったり、話しかけても返事がなく、ケアが雑だと患者から苦情が寄せられたりした事例もあったという。

外国人看護師候補者のコミュニケーション能力について、受け入れている医療機関の研修責任者にアンケートしたところ、「日本人職員が平易な言葉でゆっくり話をしても、業務に一部支障がある」との回答が16%に上るなど、言葉の壁に苦しむ様子が判明した。

―――引用ここまで

厚労省が経済連携協定に基づいて途上国の看護師研修生を受け入れる事業は2008年に始められた。3年間の滞在期間中、毎年1回、最大3回看護師国家試験を受験できるが、最初の年は全滅、翌年は1.2%。3回目で合格しなければ帰国しないとならないという事情を受け、200箇所もの英語併記やらルビ振りといった国を挙げての外国人向けチート仕様を国試に実装、奏功して翌年の合格率は脅威の4%に上昇した。

冗談はさておき、合格率はコンスタントに9割程度という明らかな「受からせるための試験」にこれほどばかすか落ちたら事業も何もまったく現実味がない。

で、厚労省が発表した現時点での結論が「言葉の壁」。やる前から結果がわかりきっていても、とりあえずやってから「だめでした」と言わないとならないところが大変奥ゆかしい。

しばらく前に日本の小学校で英語が必修化されたが、言語教育には若い(というか幼い)頃から英語教育を始めたほうがいいという考えに基づいたものだ。本当に必要なのかとか方法は合ってるのかとかいろいろあるだろうが、基本的には間違ってないと思う。

一方この看護研修生事業の対象は大卒以上の看護師免許保持者、さらに実務経験がある者に限っている。大卒看護師で実務がある時点ですでに20代を数年過ぎていて、中堅なら30代。そんなわけで、このみなさんが文字の読み書きどころか挨拶も怪しいレベルの外国語を実務がこなせるレベルまで習得するのが非常に困難だということは、政府は最初からわかっていたはずだ。ほとんどが使い物にならないとわかっていてそれでもなお金を出して受け入れるというのは、懐が大きいか頭が悪いかのどちらかだ。

で、この研修生は日本の看護師免許を持たないためにできる業務は無資格の看護助手レベルなのだが、冒頭の記事にあるようにそれでも事故報告書を書かないとならないレベルの事例が起きている。

言語のハンデがある外国人の意欲をかって手間隙やら費用やらをかけてがんばってもらっても、趣味の世界ではないから大事なのは「打率4厘」というところであって、「がんばった」に意味はない。日本には日本語ネイティブの潜在看護師が55万人いる(推定)。リスクを背負った外国人に看護助手レベルの仕事をさせて月20万払う余裕があるなら(無資格の日本人看護助手なら初年度月収は12~13万程度)、その分日本人にまわして意欲を出してもらったほうが早くて安上がりだとやっぱり思う。

人を殺すにゃ刃物は要らぬ…

引用ここから―――

呼吸用のどの穴、看護師誤ってふさぎ患者窒息死 2011年12月4日 読売新聞

愛媛県立中央病院(松山市)は4日、70歳代の男性入院患者ののどに開けられていた呼吸用の穴を、看護師が誤って塞ぐミスがあり、男性が窒息死したと発表した。

漢語師は男性が口や鼻でも呼吸ができると誤認しており、主治医らとの間で情報共有ができていなかった可能性があるという。県警松山東署が、業務上過失致死容疑で調べている。

同病院によると、男性は脳内出血で11月15日から入院。約10年前に受けた喉頭がんの手術以来、口や鼻で呼吸ができず、のど元に「永久気管孔」(直径約2センチ)が開けられていた。

病院では気管孔をガーゼで覆って異物混入を防いでいたが、ガーゼが外れがちだったため、20歳代の女性看護師が3日午後3時ごろ、代わりに通気性のない合成樹脂性の粘着シートを貼って穴を塞いだという。約1時間半後、巡回していたこの看護師が男性の呼吸が止まっているのに気づき、午後5時ごろ、死亡が確認された。

看護師は11月25日から男性を担当。男性のカルテには「喉頭の摘出、気管切開あり」との記載はあったが、「永久気管孔」とは記されていなかったという。

引用ここまで―――

気管切開(気切ともいう)というのは、呼吸に問題がある場合にのどに穴を開けて呼吸そのもの、あるいは痰の喀出を助ける処置のことで、開けたところにカニューレを入れて呼吸管理をするもの。

一方、永久気管孔というのは喉頭がんによる喉頭全摘の場合に食道と気道とを完全に分断し、気道を変更してのどの穴から呼吸をするようにするもので、口や鼻は肺とはつながらなくなる。口から消化器へはつながっているので食事はできるが、声帯を使って発声したり、熱いものを吹いたりといったことはできなくなる。

どちらも身体の同じ部位に穴を開けるのだが、前者であれば必要がなくなった時点でカニューラは抜かれ、その後多くのケースで穴は閉じる。1.5~2センチ程度の穴であってもけっこうあっという間に閉じるものだ。問題が完全にはクリアせず気切が閉じられないという場合には、それぞれに応じたカニューラが使用されることになる。

永久気管孔は閉じないように手術できっちり開けていて、別に呼吸器の問題から開けたわけじゃないからカニューレもいらない人が多く、のどに穴が開いていてそこから呼吸する。肺に直結しているために異物が入ればそのまま肺炎を起こすので(むせるとものすごく苦しいが、それだけ身体にとって肺に物が落ちることが脅威だということだ)、四角いガーゼの上部にひもをつけて、のれん、あるいはエプロンのようなものを作って首に巻くことが多い(と思う。わたしがいたところはだいたいそれを使い、家族に作り方を教えて退院させていた)。

それにしてもいろいろとすごい。まずはもちろん頭の弱い女の子が悪気なく永久気管孔を塞いじまったというのが何よりすごい。しかもこの日が初めての受け持ちではなく、最初の受け持ちから10日経過している。事故の多くが忙しくてチェックが抜けたというようなものだけど、これはもう全然違う次元の事故である。

そして、病院がそれをかぶって行った記者会見でのコメントが「看護師に患者の状態を正確に伝えていなかった」というのがまたすごい(ANNニュース)。素人さんじゃないんだから、担当する患者の現病歴と既往歴くらいは把握してないとお話にならないのに、悪いのは状態をきちんと手取り足取り教えていなかった病院ですというのは、まっとうに勤務している一般看護師への侮辱ですらある。

医療事故の種は尽きないもんだね。塩化カリウムを原液で静脈から注射して患者が死亡する事故が一時期相次いで起きて、「人はたかだか液量にして20mlの電解質で死ぬんだなあ」と思ったものだけど、人はぺらっぺらの透明フィルム材1枚でも死ぬんだなあ。

でも、こういう事故を起こしそうな、明らかにヤバい看護師が事実として臨床にいくらでもいる。経口と経静脈の区別がついてないとか、皮下注と筋注の区別がついてないなんて看護師をたまに見かけたけど、臨床は人手不足すぎてどれほど使えなくても簡単には解雇できない。

看護婦さんの給与を今の倍程度にがっつり上げて求人倍率を上げ、看護師養成機関の偏差値を上げたらもうちょっとまともな人材が来るかもしれないんじゃないかと思う。偏差値だけで判断するのはよくないと言われると思うけど、医学部は実際それが物差しになって機能してるもんな。

あるいはアメリカみたいにボトムラインを下げて難しいことをなくして「アホでも事故が起こせない」ようにするというのもありかも。これも金がかかるからだめかもしれないけど。

医療の未来

アメリカでは歴代のあほ大統領が何を思ったか皆保険制度導入をぶち上げて医療従事者を絶望の底に叩き落している昨今、日本ではやっぱり歴史に名を残しそうなほどの迷宰相がこの大統領の推奨するTPPとかいう協定への参加を表明したとか。

日本はもちろん、アメリカにもあんまりいいことがないような気がするこの協定、実際アメリカ国内にも危機感を持つ人たちはけっこういて、マジ余計なことすんなとそのほかの批判もあいまって米国民主党の支持率が下がっています。彼は久しぶりに一期で終わる大統領になるでしょうか。

さて、こちらの関心はやはりこの協定の医療への影響。王子はいつか日本に住みたいと思っていて、こちらとしても数年単位なら叶えてやれるのではと思っているのですが、そうなるとわたしはその期間日本で看護婦さんをしないとならない。そんなわけで、今回のこの協定に参加することが日本の医療界にどんな影響を及ぼすのかは大変気になります。でも、どこをどう探しても、賛成だとか反対だとかいうだけでTPPが具体的にどんなものなのかが出てこないんですね。賛成しようにも判断の材料がない。

日本が全面的に参加するかはわからないけれど、この協定には労働力の移動が含まれています。でも、わたしは制度上はともかく日本の医療界への外国人資格者の「実際の」参入はないだろうと思っています。日本医療市場への参入はほぼどの言語ともまったく違う文法を持つ言語がバリアになることに加え、日本の医療界は発展途上国からの看護研修生ですら中途帰国するような劣悪な労働環境を誇っています。

日本で看護婦さんという職業は常に「大変ね」とねぎらわれる職業です。少なくともわたしは日本の臨床でいつもへとへとになりながら、患者さんやその家族にねぎらわれてきました。要するに看護は地位も低い重労働で賃金も見合ったものではないと誰もが知っている職業なのです。高校の進路相談で「君はかわいらしく性格もいいが偏差値が低いから」と勧められるのが看護学校です。一方で発展途上国でも看護師は教育を受けたエリートであることが多い。アメリカなんか、20年前ならともかく昨今まっとうな家庭に生まれなかったら学費のバカ高いRN(正看護師)になんかなれない。

そんなわけで、国内の医療従事者の労働環境や給与のよほどの改善がなければ、そこにわざわざ入り込もうとい外国人資格保持者はいないと考えていいと思います。医師にしても同じです。研修医制度が見直されて研修医に給与が出るようになり、時間的な拘束もそれ以前に比べてかなり改善されたものの、やはり労働環境として外国人に魅力があるものではないことに変わりはない。

さらに日本では現行の医療制度下で制限なく自分で医師を選ぶことができます。患者さんである日本の皆さんは(介護要員としての外国人ならともかく)医師を選ぶときに選択権があれば日本語が怪しい外国人医師にかかろうとは思わない。医師はサービス業の面もあるからです。

あとは医療保険制度、そして保険診療と自由診療との混合診療がどうなるかですね。宰相は医療は今回の協定の例外になると言ったり例外はないと言ったりと舌を使い分けるのに忙しいようなので、こちらは何が起こるのかまったく予想がつきません。

さて、アメリカは底知らずの不況で、医療保険が以前よりさらに厳しくなってきました。つまり、保険会社が受益者の受ける医療やケアを認めなくなってきているのです。

たとえば日本なら現在でも少なくとも病院で2~3泊はするような盲腸や胆嚢摘出の手術が普通に日帰りなのは有名なことですが、もちろんこれは医療保険会社が入院に対する医療費の支払いを認めないからです。

先輩看護師に言わせると、20年程前にはアメリカでも盲腸や胆摘で1週間入院していた時代があるそうです。そこから徐々に景気が後退し、現在のような厳しい状況になってきたと。とはいえ、現代でもそれよりも多少侵襲が大きくリスクの高い手術であれば、1泊程度の入院はできるようになっていました。

この「1泊程度」というのがミソで、手術後に麻酔回復室を出て病棟に着いた後、23時間以内であれば実質一泊ではあるものの、保険上は日帰り扱いにできるという「23時間経過観察」という制度を多くの医療機関が採用しています。医療会社から「この手術なら入院に関する出費は払いません」と言われるので、日付はまたぐものの在院日数としては24時間経たないため一泊未満、つまり日帰りということにして医療費を請求できるという方法です。めんどくさいと思うだろ、これがほんとにめんどくさいんだよ。

ところが昨今医療会社はこの「23時間経過観察」さえも許容しなくなってきています。患者は尿管カテーテル、下手をするとドレーンが入ったまま麻酔回復室から帰宅していきます。医療者にしてみれば出血などの合併症のリスクが十分にある手術を受けたばかりの患者を家に帰すのは本意ではないけれど、そうしなければ1件あたり十数万円が病院の持ち出しになってしまう。でも何かあれば患者は訴訟にためらいはない。

そんなわけで、しかたがなくうちの外科では最高2時間までの麻酔回復室在室時間を、ケースによって倍まで伸ばして経過観察をして、出血などの兆候がないようなら帰宅させるようになりました。そこではっきりとした問題があれば診断をつけて病棟に送ることができるので、23時間経過観察への医療費が払われる公算が大きくなるわけです。

で、こっちは「おまえらが合併症の兆候を見逃した」と言われないように観察をするのはもちろん、退院指導をさらにがっつりする必要が出てきます。こういうことがあったらすぐER(救急)受診、こういうことがあったら救急車を呼んでね、と。でもすぐERを受診しても待ち時間数時間、救急車を呼んだら7万とかかかっちゃうんだよね。

医療を受ける側はもちろん、こちらだって患者の安全をまず優先したい。けれどそれには金がかかります。そしてその金を出す者が大きな力を持って医療やケアに口を出し、患者に何が必要かを決めているという状況がここに起きています。

日本も今回の協定で医療保険制度の改革が起きてこんなことになったらと思うとちょっといやですねー。
しかも医療者の給料は据え置きとか。

特定看護師(仮称)

日本で新しい看護師ステップアップ制度ができるらしい。

以下引用―――

「特定看護師」導入へ 一部の医療行為容認  MSN産経ニュース 11月7日

厚生労働省は7日、高い能力と実務経験を持つ看護師に、医師の補助として高度な医療行為を認める「特定看護師(仮称)」の導入を決め、具体的な基準を盛り込んだ骨子案を検討会に示した。特定看護師が実施可能な医療行為(特定行為)は、床ずれで壊死した組織の切除や、脱水症状の際の点滴などが想定されているが、詳細は今後検討していく。

厚労省は、看護師など医療スタッフの役割を広げ、連携して治療に当たる「チーム医療」を推進しており、今回の制度導入はその一環。背景には、医療の高度化や患者の高齢化で、医療現場の負担が増えていることがある。高い能力を持つ看護師が医療の一部を担うことで、質の高い医療を広く提供することを狙いとしている。

看護師の医療行為については、現行でも医師の指示の下、「診療の補助」として行われているものもあるが範囲があいまいで、医療機関によって実施内容が異なっていた。

新制度では、特定看護師が行える「特定行為」を定義。5年以上の実務経験があり、8ヶ月から2年程度の専門研修を受け国家試験に合格し、認証を受けた特定看護師は、医師の大枠の指示の下、自主的な判断で「特定行為」を行うことを可能にする。

厚労省は、保健師助産師看護師法改正案を来年の通常国会に提出、早ければ平成25年度の開始を目指す。

ただ、「特定行為」の具体的内容をめぐっては、この日開かれた検討会でも、委員から「法律で明確に規定することで、現在看護師が行っている医療行為が行えなくなる可能性があり現場が混乱する」などの意見が出された。日本医師会などは「患者への安全性が損なわれる」などとして特定看護師の導入自体に反対しており、議論は今後も続きそうだ。

引用終わり―――

日本の看護婦さんが専門を持ってがんばろうと思ったとき、まず必要なのは桁外れな体力である。専門に興味がなくあんまりがんばりたくないと思っても勤務にはけっこうな体力が必要でわたしみたいなヘタレには勤まらないので、専門を持つために必要な体力と根性となれば、それはもうすごいものである。

通常勤務や残業、院内研修を普通にこなすのはもちろん、さらにオフには専門にしたい領域での研修やら講習やらを受けて看護研究を発表し、院内で一応の地位を築いて上司に承認をもらって認定看護師課程に申し込んで合格し、半年かけて履修し、審査を受けて認定証をもらう。ただの看護師免許と違って5年ごとに更新が必要で、実績にもとづいた審査に通らないとならない。考えただけで疲れて眠くなるしんどさ。

別にこの資格があったからといって給料が倍になるわけでもないけれどやたらと門が狭い。ついでに田舎の大学病院では金がかかるからとこれを持っていると敬遠されたりする。

さて、今回の特定看護師。現在、日本看護協会が特定看護師(仮称)養成調査試行事業の募集(3分野計18人)が行われている。応募領域での認定看護師資格を持って5年以上の実務経験がある看護師が応募の対象で、あてはまるのは全国で約1000人。ちなみに現在就業中の看護師はのべ120万人である。どんだけエリートなんだよ。

医師の負担を減らしつつ、財政難の折から安上がりに診断・治療をできるようにしたいということがその狙いなら、特定看護師の給与はそれほど上がらないということになる。一方で診断するなら訴訟リスクはあるという理不尽さ。でもあれか、「医師の大枠の指示の下」なので責任は医師に行くのか。ならその医師が診断したらいいじゃねえか。

そんな魅力的な仕事ができるような体力も根性もなくてよかったね、という話でいいのか。よくわからない。

出戻り看護婦さん

こちらで知り合いになった看護職をしている日本人女性とときどきやりとりをしているのだが、彼女はいつか日本に戻りたいと思っているのだという。

この女性は結婚してこちらに来て、看護助手から始めて看護免許を取得したので日本の看護師免許は持っていない。そんなわけで日本でも看護職をしたいと思ったら日本の看護師免許が必要になる。ところがこれが厄介で、実際に免許を手にするのが難しい。

管轄は当然厚労省。通常、看護師国家試験受験資格は国内の看護師養成機関で一定の課程を修了した者に与えられるのだが、外国で得た看護課程の単位を厚労省に提出して審査を受け、これが日本のものと同等以上と認められれば改めて日本で看護課程を履修することなく直接国試が受験できる。

で、ここで出てくる問題が「日本のものと同等以上」というところで、これは日本の看護師養成機関と同じ程度かそれ以上の講義・実習時間を指しているのだが、これが非常に多い。

厚労省が設定している日本の看護課程には膨大な量の講義・実習が組み込まれていて、看護学生はこれを3~4年でこなす。10年ほど前、さすがにこれは詰め込み過ぎなんじゃね、とカリキュラムが改定されて大幅に授業時間が減らされたものの、それでもまだ外国のゆとり教育とは比べ物にならない。

もちろんそんな詰め込み放題のカリキュラムでも卒業後の臨床業務に比べたらゆとりもいいとこなわけだけれど、そんな人間らしくないことはアメリカではさせないから、当然ながら審査時に単位が足りませんということになる。

実績からいうとアメリカだと4年制の看護学部なら足りることが多いらしいが、短大以下では難しい。さらに、審査の対象となる単位は「看護師国家試験を受けるための講義・実習に限る」という規則があるらしく、「単位が足りないから補習で補います」ということができない。だから、一度はねられたらあとがない。

そんなわけで、現状では日本人が外国で看護教育を受けてしまうと、日本で看護師免許を取るのはシステム的に難しいということになっている。

「看護の知識があって言語的なハンデもないのだから、外国人の研修生を受け入れるより、外国で免許を持った日本人を受け入れた方が早いし日本のためになるのに」とこの女性は言う。

たしかに、外国人研修生よりも外国で看護免許を持った日本人の方が金がかからずに看護師に仕立て上げやすいと思う。受験資格を与えて独学で準備させるだけだから、斡旋料もかからないし言語トレーニングもいらない。

ただ、医療が絶賛崩壊中の日本が必要としているのは「欧米の厚待遇に慣れた看護師」ではなく、「安い労働力としての看護師」である。だからサービス残業もまともにしたこともないような看護師が日本に戻って臨床に行っても、臨床もしんどいし本人もつらい。それよりは途上国から看護師を連れてきて、ものすごい労働環境にもへこたれない上澄み分だけ日本で引き取ってがんばってもらおうという方が現実的なんだと思う。それを厚労省が意識しているかどうかは別だけど。

医療費が安く抑えられている限り財源は増えないから、日本の労働環境が変わることはないんだろうな、と思う。わたしと王子とが日本に戻ることは現実的ではないけれど、せめてわたしがこちらで勤務することができてよかったと思うしかない。

2024年3月
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