かいるびRN@外科勤務中

昇給

昇給した。

わたしが勤務する病院は半非営利である。とはいえ儲けを出さないと当然やっていけないので一応取れるところからは取っているのだが、この「取れるところ」に従業員が含まれている。と思う。数年前、この病院は何を思ったか「従業員による寄付制度(天引き)」を施行したが、すでに寄付後レベルの給料からさらに寄付する従業員はおらず、この試みは頓挫した。

そんなわけで、うちの病院は周辺の病院とは給料がまるで違ってやけに安い。特に高給で知られる某チェーン病院とは、時給だけで日本円にして千円ほど違う。10時間勤務で日給にして1万円違う話になる。年収にして200万円相当になるのか。すごいなあ。さらに福利厚生もうちとはだいぶ違っていて、企業年金制度も充実しているという話。

そんなわけなので医療職の流出が止まらない。医師の多くは引き抜きによる移動がほとんどで、病院全体では昨年だけで数十人が他院に流れたと言われている。看護師は勤務をしながら他の病院の求人に応募を続け、転職先が確保されたところで退職する。

さらに、この病院には労働組合(ユニオン)がないのだが、昨今労働組合が従業員を取り込むべく活動を始めたらしい。この流れが大きくなって従業員による投票が行われて従業員が望めば労働組合が組織内に設置されてしまう。一度できてしまえば当然なくすことはできない。かくして病院は何としても「病院はあなたたちのことを大切にしている」という姿勢を見せなければならなかったのだろう。

そして断腸の思いで実行したという、それが今回の昇給。職種ごと一律の率で時給が引き上げられた。最大の引き上げ率を得たのは看護師で、わたしも結構な昇給となった。これでも他院に比べると競争力としては弱い(というかお話にならない)が、昇給に踏み切った上層部を評価する声は高い。


でも、わたしは日本で看護師をしていたので、これまでの給与にも不満はなかったというのが本当のところ。サービス残業という概念がないこの国では、始業よりも30分早く出勤するなどほぼありえないし、時間外勤務は金がかかるので奨励されない。加えてわたしは現在の日勤のみで、交代勤務なし、週末及び国民の休日は残らず休みである。上司に恵まれ、わたしの勤務する部署の患者満足度は9割を切ったことがない。

不満を言えば所得税が高すぎる。3割5分もってかれるってそれなんて社会主義。

サラリーマンのすゝめ

10時間+残業を週5日続けて2週間めの今週は、金曜の午後、勤務中に医者と話していていきなり貧血を起こしてぶっ倒れ、勤務リタイアというかっこわるい形で終了した。それほど疲れているとは思っていなかったんだけど、その後は悲しくもないのに涙が止まらないという疲労時の特徴が出てきたので、来週からは4日勤務でいいという話はとりあえず受けた。20代のころは平均週75時間勤務していたのに、今はたかだか55時間でギブ。年はとりたくないものだと思う。

王子が受けた国家試験に受かってしまったのはいいけれど、その業界は不況で就職難、王子の転職活動も進まない。王子は「いっそ退職して開業する」みたいなことを言い出した。コネも経験もない王子に勝算はないが、やらないと気がすまないのが王子。そしてそうなれば現在の医療保険もなくなるので、わたしが正社員になって医療保険をもらえるようにならないとならない。そのときに頼みやすくなるように病院の意向にはできる限り添うようにと思っていたのだけれど、体力が続きませんでしたという話。

金曜は勤務バックれて16時間寝て、昨夜はさらに11時間寝て、明日はまた朝5時から勤務。上司は「必要ならいつでも正社員にする」と言うけれど、正社員はしんどそうだからなりたくないなあ。王子、今のまま会社員してくれないかなー。

Go Live! 〔ごーらいぶ【熟】稼動・立ち上げ〕

職場が今月からシステムを一新することになった。

冬の初めあたりからぼちぼち準備していたのだが、従業員が何万人いるのかわからないような大規模な病院で2ヶ月ぼちぼちやったくらいですんなりいけば苦労はない。どうも上はあんまり深く考えていなかったらしくまったく追っついていないという話。

それで、とりあえず導入をひと月ずらし、さらに病院を挙げて看護職員の残業が奨励されることになった。看護師は可能な限り残業していただきたい、通常、週40時間を超える超過勤務については時給の150%支給だが(だから残業は奨励されない)、新システムが稼動して落ち着くまでは200%支給とする―――。

子供はいないわ仕事の掛け持ちはしてないわ、おかげさまで年明けから文字通り絶賛残業中。風邪が治らないので公休はそのままで…と思っても、上司からは「悪いけど欲しいもののことでも考えて働いてちょうだい」と言われ、他職種からは時給倍!自分なら週7日働く、と羨ましがられている。実際のところはこれ以上稼いだところで税率が上がるばっかりで実際の手取りはそれほど増えないので、テンションもあがらない。こんなくそ田舎で欲しいものもないし。

また明日から仕事だなーと思いつつ、今日は3DSでカエル飛ばしたりどうぶつの森でゆきだるまを作ったりしている。システムは本当に立ち上がるのか。

アメリカと肥満 2

どちらのみなさまも1週間おつかれさま。こちらは月曜が戦没者記念日で祝日、その翌日病欠が3人出て今週の職場は戦場そのものだった。

今週は大きなみなさんがいつになく多かったのも印象的だった。たしかにわたしの職場では病的肥満に対する胃バイパス手術もやっている。しかしながらこの担当医は今週と来週は学会出席のため休暇中で、その系統の手術はなし。つまり、盲腸とか扁桃切除とかいう、肥満とは全然関係ない普通の手術を受けに来た人が大きかったという話。

アメリカで「大きいなあ」と思うような人は本当に大きい。日本の肥満の定義はBMI25以上だが、アメリカでは30以上が肥満とされている。BMI30というと、身長165cmで体重80kgを超えたくらい。日本でBMI30を超える成人は先進国最下位で人口の3.9%、一方アメリカはぶっちぎりのトップ、33.8%とされている(OECD・2012年発表)。街を歩く人の3人にひとりは肥満だということになる。

実際にはこの国の肥満は進みすぎていて、BMI30程度は「ちょっとぽっちゃり」くらいにしか思われない。カルテを見てBMIが20台だと「ああやせてるんだなあ、点滴入れやすそう」などと思う。そんなわけで、今週いらしたみなさんも当然そんなレベルではなかった。BMI40程度の人はまだ軽い方で、56とか64とか70とか。いずれもなんとか自力歩行可能だったのだが、ベッドに横になったとき、5分おきくらいに身体の向きを変えないと背中やら腰やらが痛むと言って動き回る。通常ならベッド柵は片側しか上げないのだが(両側柵をするのは拘束とみなされるから)、ベッドから転げ落ちそうになるので了承を得て両方上げた。

手術なので、もちろんそんなみなさんにも20G(布団針くらい)で点滴を留置しないとならない。「この間病院に行ったときには8回刺された」「この間はどこにも入らなくて首に入れた」なんて話を聞きながら埋もれた血管を探してあっちこっち駆血帯巻く。点滴がさっくり入って誰より自分がびっくりしたりする。

日本では過度の肥満は健康に悪いというのがごく一般的な認識なので、なぜこんなに太るのか、まさか肥満は別に悪いことではないと思ってるんだろうかと思うことはある。しかしながら、その質問に明確な答えが与えられることはほとんどない。肥満の理由は分析されていて、低所得層がファストフードの多用で太るという話を聞くこともあるし、たくさん食べなさいという家庭環境もあるようだし、何かから目を背けたくて食べ物に走るのかもしれないし、太っている方が美しいとされる文化が世界にはあるとも聞く。しかし、肥満者に対してそのことを話題にすることは決してないこの社会で、よそから来たわたしに肥満の本質などわかるはずもない。

そんな昨今、ブルームバーグNY市長が砂糖入り清涼飲料水の販売に制限をかけると発表した。しばらく前にもそんなことを言っていたが、とうとう実際に法制化するところまで来たらしい。これが施行されると、レストランやファストフード店では砂糖入り清涼飲料水の販売は16oz(500mlくらい)までとなるという。乳製品を使ったものやダイエット炭酸飲料などは対象外になる。目的はもちろん肥満抑制である。

利害が絡むだけに、肥満の原因は飲料にあるわけではないと反対する者もいる。お約束の「政府が個人の嗜好に介入すべきではない」という意見も当然ある。

とはいえ、この国には「砂糖入り=自然=身体にいい」とか「ケチャップ=野菜」みたいなことをマジで信じている人がいて、それを正すのは誰の役目かという話。この法律自体はあんまり肥満抑制に直接つながらないかもしれないが、この国が20年かけてタバコへの増税や禁煙キャンペーンで喫煙者を減らしたように、過度の肥満は身体に悪いことなのだという認識を今よりも広める足がかりにできるかもしれない。

ところで今回OECDの統計を見ていて思ったんだけど、人口に対する肥満者数は米国が日本の8倍以上なのに、虚血性心疾患の発生率(肥満で上昇する)は日本の4倍。ということは、日本人の虚血性心疾患のリスクはアメリカ人の倍ということになるんだろうか。糖尿病のリスクもほぼ10倍。日本人が肥満を悪だと考えるのもしかたがないね。太っても病気になりにくいっていいなあ。

身を守る義務

昨日の朝新聞を読んでいたら、医療費に関する記事があった。いつもは漫画だけ読んで、あとは折り込みのクーポンに目を通してめぼしいものを切り取って終了なんだけど、この記事は1面にあってつい読んだ。

これによると、医療保険を使って精査や加療を受けるよりも、自費で受けたほうが安上がりになるという。例として挙げられているのは腹部CTの費用。とある病院が州に腹部CTの費用として届け出ているのは4423ドル(約35万円)である。民間医療保険会社ブルーシールドによると、ブルーシールドがこの病院と交渉して設定しているCTの費用は2400ドル(約19万円)。さらに、自費で受けた場合に病院から直接請求される金額は250ドル(約2万円)。

なぜそんなに差があるのか。この記事では、過去、病院が無保険の患者に対してぼったくりの限りを尽くした上に激しい取り立てをしたことで批判を受けたことを挙げ、ここから病院が転換して無保険の患者に対し医療費を安くすることでとりっぱぐれを防ぎ、かつ請求のプロセスを簡易にしているとしている。

医療保険に加入している人でも、自費に切り替えることで安くあげることができるという。ただ、自費で払った分は医療保険適用時の自己負担額に含まれない。その年度に多くの医療サービスを受けることが予想される場合や雇用主が保険料を負担している場合などは、医療保険を使ったほうがよい場合もあるとしている。詳しいことはウェブ版の本文を参照してください。


医療保険制度に正解はないもので、どうにもぐだぐだである。医療サービスの値段なんて実際はあってないようなものなのだろうが、CTが言い値35万、保険会社が負けろっていうから19万、でも保険がなくて払えないなら2万でいいよと言われたら、差が大きすぎてどの値段も信じられないよね。でも、医療サービスを受けて保険会社から支払いを断られたら病院に泣きついて10分の1にしてもらって支払うという選択もあるということか。それはそれで悪くない。覚えておこう。

日本でも、自費治療の患者に好きな金額を請求できるという点では同じである。政府が保険適用時の診療報酬を設定しているので、公的健康保険を利用した場合には政府が定めた点数×10円の診療報酬が適用される。一方、自費診療ではそれが適用されない。医療機関は勝手に医療費を設定することができるから、やろうと思えばぼったくり放題ということになる。


さて、医療制度といえば以前触れたオバマ大統領による医療制度、いわゆるオバマケアが段階的施行が開始になって2年。これが本格的に施行されるようになると、けっこう大変なことになるような気がする。いったいどこにそんな金があるんだろう。

4700万人の無保険の市民が軽い負担で医療サービスを受けられることを目指したこの法律ができたことで、無保険に陥った人もいるらしい。数にして450万人だとか。

従来この国では医療保険は福利厚生の一環として提供されることが多かったが、年々保険料が上がる上、この法律で医療アクセスが容易になって今後さらに保険料が上がることが想定されるために、「オバマケアが提供する国民医療保険に入ればいい」と医療保険の提供を打ち切った雇用主が出てきているという話。で、このオバマケアによる国民医療保険は内容ではなく年収によって保険料が変わるので、稼げば稼ぐほど保険料が高くなる(家族4人、世帯収入が6万ドル、500万円程度とすると、保険料は年間5700ドル、45万円程度で医療費自己負担上限は年間6200ドル、50万円程度になる)。

さらにオバマケアは国民が何らかの医療保険に加入することを求めており、加入していない場合には罰金制度がある(750ドル)。

医療保険を持つかどうかは自由意志であって、自分の身を守るための医療保険に入らないことで罰せられるのはおかしいと考える市民は少なくなく、そんなわけでこの法律は連邦裁判所に持ち込まれている。

アメリカではシートベルト着用義務化は憲法違反だと考える市民がけっこういる。シートベルトは自分の身を守るためにするものなのだから、着用しないこともまた個人の自由意志あるという考え方である。お上がそう言うなら締めとけばいいずら~、みたいな日本人のわたしにはこれはけっこう衝撃的な意見で、「何その屁理屈」と思ったのだが、それはわたしが日本人だからなじまない考え方なだけで、この国の成り立ちを考えれば屁理屈でもなんでもない。

とはいえ実際には1州をのぞくほぼすべての州でシートベルト着用義務は法律になって施行されている。公共の福祉とか利権とか、いろんな理由はあるだろうが、個人の自由に各州政府は実際に口を出しているし、州によっては違反すれば罰金が科せられる。

そんなわけで、医療保険加入にも自由意志が許されない時代になるのもしかたがないのかもしれない。とりあえず王子の職場が医療保険の提供を打ち切らないように祈るばかりだ。打ち切られたら、へたに収入がある分保険料が高いから、罰金払って自費診療、っていうのもありなんじゃないのかな。けっこう負けてくれそうだし。

格差と医療

しばらく前、米国で医療制度改革、いわゆるオバマケアの実現を推進する団体が、医療支出についての調査をしたという記事を読んだ。「日本の医療支出は先進工業国で最少、最高は米国 米調査

これによると、13の工業先進国(英・豪・カナダ・スイス・スウェーデン・独・日・ニュージーランド・ノルウェー・仏・米、オランダ・デンマーク)の医療制度を比較、医療関連支出が最も少ないのは日本の2878ドル(約23万円)、最も多いのがアメリカの8000ドル(約64万円)だったという。

日本では医療支出が予算内に収まるように医療費を設定することでコストを抑え、専門医や病院の利用、CTやMRIといった高度な医療機器の利用に制限をかけていないことなどが報告書で触れられているという。一方で、米国では医療費が高く設定されていること、医療技術を容易に利用できること、さらに肥満のまん延から医療支出が増えているとしている。詳しくは記事を参照してください。

アメリカで医者にかかって診察や検査、治療を受けたりすると、しばらくして医療保険会社から「医療費のお知らせ」が来る。自分の自己負担がいくらになるとか何とかという前に、とりあえずこれだけかかってます、という通知である。この金額が常に3桁、下手をすると4桁。「ほんとに保険きくよね」といつも少し不安になる。

先日ウロ(泌尿器科のこと)を受診した。「UTIと結石を繰り返しているので腎機能が心配になりまして。機能評価を」とお願いし、とりあえずディップテストと残尿検査をした。問題なさそうだけど一度きっちりやっておいたほうがいい、と医師はもろもろの検査指示とUTI用の抗生剤の処方箋を出してくれた。

今回の通知によると、この「診察とディップテストと残尿検査、処方箋」、これが529ドル。その日のうちに血液検査と新鮮尿は済ませてしまおうと外来検査部に行って採血・採尿をしたが、これで996ドルである。その後提出した蓄尿は150ドル。造影CTが軽く1200ドルを超えたのは以前に触れたとおりだ。

わたしは外来診察の自己負担一律10ドル、検査・加療は上限年500ドルの自己負担ですむので、必要とあればそれほどためらいなく医療が受けられる。これは王子が職場から福利厚生として提供される医療保険の恩恵で、個人でこれと同等の保険プランに入ったら、保険料で収入の数割が飛ぶ。

この医療保険は大手の保険会社、さらにPPOというシステムなので、自分で選んだ専門医をほぼ無制限に受診できるのだが、これが違うシステムだと専門医の受診にかなりの制限がかかる。文中で、日本では専門医や病院、医療機器の利用に制限がないと言及されているのは、アメリカでは加入する医療保険プランの種類やランクによってそういったものに制限がかかる場合が多分にあるからだ。

アメリカは世界トップクラスの格差社会で、人生のいろんなところにその格差が反映される。日本では親が泥水をすすってでも子供に教育を受けさせるというようなを話を耳にするが、この国ではある一定のラインより下の層に生まれたが最後、泥水をすすったくらいでは子女に高等教育なんか受けさせられない。

そしてその格差は、当然受ける医療にも反映される。現時点で政府が提供する皆保険制度はなく、日本レベルの医療は市民に対して保障されない。その一方で、高額所得者ほど充実した医療を受けることができる。

手術を受ける病院にしてもそうだ。先週のある日、普通に当日手術の患者さんの入院をとった。ひと通りの入院・手術の準備を終え、何か質問はないかと尋ねたところで患者さんの家族が言った。「もし手術が必要になったら、僕もここにお願いして、あなたを指名したい。設備もきれいだし、受付からここまでみな礼儀を持って笑顔で対応してくれて、説明も丁寧だし。点滴を入れるのに痛くないように局部麻酔をするなんて初めて見たよ」

実は最近知ったのだが、うちの病院は他の病院よりも医療費がかなり高く設定されている。その分、患者対看護師の比率が高く、病室は全室個室、退院前には医療マッサージ師が病室までマッサージをしに来る。だから、同じ手術を受けてもうちだと余計に金がかかるわけだ。

これで影響を受けるのは主に医療費の請求を受ける保険会社である。だから、保険会社としてはどこでもできる手術なら、加入者に安い病院で受けてもらったほうが得ということになる。

病院は事前に手術予定患者の保険会社に連絡を取って医療費が保険適応かどうかの確認を取るのだが、安い医療保険プランだとかかることができる病院にも制限がかかり、うちでの手術を許可しないことがある。一方で手厚い医療保険プランであればあるほど受ける医療や病院に制限がなくなり、患者の自己負担も変わらない。

自分の加入している医療保険プランのカバー力がよいことを知らないまま普通の病院で普通のケアを受けてきた人が、何かの治療でうちの病院に来て感動するというのはけっこうある。以前からやけにうちの病院の客層はいいと思っていたけれど、要するに貧困層お断りの病院だったというわけだ。

わたしは日本人だからなのか、医療と金とを秤にかけることに対する罪悪感がある。大切なものだから安価で提供されるべきだという考え方である。

でも、この国では人生で大切だと思うものは自分で行動を起こして手に入れるのが当然とされている。身を守るために治安のいいエリアに住む、きれいでおいしい水を得る、人生の条件をよくするために教育を受ける。そういった人生のすべてが自己責任であり、それをしないのは本人の意思だと多くの市民が考えている。

医療も当然例外ではない。健康のために喫煙をせず、食べるものに気をつけて運動をするかどうかは個人にかかっているし、必要時に医療を受けられるように備えておくのも個人の責任である。誰かが無保険だとしても、それを他者のせいにはできない。

さて、この調査をしたのはオバマ大統領が導入した医療制度改革法、いわゆるオバマケアを推進するアメリカの団体だそうだ。当然ながらこの法律にはアメリカ人の約半数が反対している。政府が収入にかかわらず誰にでも医療を安価に提供する、さらにその財源が市民の皆保険制度への強制加入だとしたら、それは建国精神に反する。

オバマケアは一部の州で違憲判決が出され、現在この法律は政府によって連邦最高裁に持ち込まれて審理中。そのうち判決が出ます。これが合憲になったりするとアメリカも医療費削減に乗り出したりして、看護婦さんが日本みたいに走り回って医療ミス連発なんてことになるのかしら。胸が熱くなるよね。

刺青

国内のある自治体が、刺青を入れた職員を配置換えの対象にすると言ったというニュースを見た。それに対する世論がどうなっているのかは在外の身には知る由もない。刺青を入れているからといって差別をするなと反対が多かったりするんだろうか。

こういうときに必ず持ち出されるのが「海外では・アメリカでは社会的に認められている」である。「そういうことは海外に移住して公務員になってから言え」と思うんだが、それはともかく、アメリカでは容認されているというこの認識は正しくもあるし、間違ってもいる。

どんな街にもタトゥーショップがあり、だれでも予約もなく立ち寄って好きなデザインの刺青を入れてもらえる。おおっぴらにそれはよくないと言う人はまずない。ギャングに属していなくても彫り物をする人は男女問わずいくらでもいる。

ただそれはこの国でもはっきりとした区別を生む。誰も口にしないが、そういった区別は日本とは比べ物にならないほどはっきりしている。

刺青はこの国では「ロークラスでは普通のもの」と認識されている。刺青をしている時点で「自分は底辺層出身です」とか「まともな自尊心がありません」と表明しているようなものだ。まともな家庭でまっとうな自尊心を育まれた子供は、麻薬や売春と同様、刺青とは無縁の人生を送る。アッパーミドルクラス以上の市民にとって、自分の家族以外が麻薬におぼれようが刺青を入れようが知ったことではない。この国で刺青は、そういう意味で「容認」されているのである。

うちの病院の職員の中にも、多くはないが刺青を入れている人がいる。目に見える部分に入れているのは清掃部やデリバリーといった無資格の職員が多く、医師や看護師にはまずいない。病院は職員に対して刺青を入れるなとか消せととか言うことはないが、勤務時間中は包帯やテーピングで隠すよう指導が徹底されている。たとえワンポイントやメッセージ性の弱いものであっても、刺青が患者やその家族の目に触れることは許されない。

刺青は日本では犯罪者であることを示すものだったり、自分に逆らうと怖いことになると警告するものだったりするが、アメリカでもメッセージを発していることがある。

よくあるのは「ママンの名前」。母親大好きな息子が亡くなった母親の名前を刺青にするというパターン。自分が生きている間に母親が死ぬ確率ってそんなに低いのかと。妻はどう思ってるんだろうといつも思うけど聞けない。

内視鏡室で勤務していた当時、ある白人患者の検査後を担当した。他の看護師が入院させて検査に送り出したこの患者が鎮静が覚めないまま病室に戻ってきたのだ。血圧計のカフを巻き直していて、患者の腕にハーケンクロイツ(ナチスのマーク)の彫り物があるのに気がついた。

患者は60代、大腸がんのスクリーニングのための検査だった。彼はもちろんスキンヘッドではなかったし、目が覚めたあと、有色人種のわたしに対して明らかに失礼な物言いや振る舞いをすることもなかった。

わたしは「かいるびRN」として、それに気がつかなかったふりをして規定どおり退院させた。それでも、その刺青を見た瞬間、「かいるび」というわたし個人にとってその人は「そういう人」という、侮蔑の対象となった。

人生のある時期、おそらく若い頃、彼は人種差別肯定者だった。彼にとっては髪型や衣服でその意思を表明するだけでは不十分で、そのシンボルを一生背負いたいと思うほどに強く有色人種を差別していた。たとえその時期のことを彼が今強く後悔していても、衣服で普段隠していても、刺青は若い頃と変わらないメッセージを発し続ける。そして年をとってある日がん検診を受け、劣等だと思っていた黄色人種に看護される羽目になる。

看護する上では「ユニバーサル・プレコーション」という「すべての人が感染症を持っていると考えて接しなさい」という考え方が原則。だから誰に触っても手を洗うし、誰の血も凶器として扱う。刺青の有無はあまり関係ない。

ただ、プライベートでは刺青を入れた人とはかかわらないし、独身であった頃も異性ならお付き合いすることはなかったと思う(そもそもそういう人と出会ったことがない)。刺青を入れた人がドラッグをしていることが多いことから感染症を持っていることがあることに加えて、不衛生な刺青の器具を通じて感染症にかかっている可能性があるからである。

刺青を入れることが法で禁じられているわけでない限り個人の自由であることは間違いない。ただ、それを見る者がその人を区別するのもまた個人の自由。日本では今でも刺青は公序良俗に反するとされて銭湯に行ったりミッキーと戯れたりできないのだから(あの夢の国は彫り物露出NGらしい)、一般人の規範であれとされる日本の公務員がすべきでないと言われてもしかたがない。

自分をそのまま受け入れるだけの自尊心がなくて他の人と違ったことをしたいと思い、その具現が刺青になるとしたらたいそう不幸なことだが、子供に変な名前をつけることにも似たものを感じる。自分たちに生まれてきた子供というだけで他の子供とは違った特別な存在であることは疑いようもない。名前で奇をてらわないと特別にならないと両親に思われているとしたら、子供はたいそう不憫なことだ。

春の別れ

わたしが勤務している病院の部署には看護助手が3人いる。基本無資格の男性で、バイタル(検温)や術前や検査前の剃毛(今でも指示する医師がたまにいるから)、患者の搬送や備品の補充なんかの雑用をこなすのがその業務。病棟には看護助手はいなくて、RT(呼吸療法士)がその代わりを務めている。

わたしが今の病院に採用になったときにも3人いたんだけど、いずれも頼まなければ動かないし、だいたい外にタバコを吸いに行っていることが多くて、いるだけどころかそもそもいないことが多かった。ポケベルを持たされていて必要になると呼ぶんだけど、戻ってくるのに10分15分かかってばからしいので何かを頼もうと思うことはあまりなかった。無資格の安い職種にそういう人が多いのはしかたがないことだ。

そういう人は長続きしないもので、3人のうち2人がその後数ヶ月でそれぞれ挨拶もなく辞めていった。少なくとも、3人の中で一番まともな看護助手は残っていたから誰も特に気にしなかった。

それぞれの代わりとなる看護助手が採用されたと聞いたのだが、わたしにとってはいてもいなくても変わらないので流していた。

ところがこれが大誤算で、その後配属となったふたりはとんでもない働き者だった。ひとりは孫がいる50代、ひとりははたちそこそこだったが、どちらも頼まれたことを気持ちよくこなすにとどまらず自ら動いて仕事を探し、できる仕事の範囲を拡げていった。その働きはもといた中では最も働き者だったはずの助手が見劣りするようになるほどだった。

わたしはそのふたりがとても好きだった。祖国を遠く離れたこの場所で、ひとりは父のような、ひとりは弟のような存在になった。ふたりとも、わたしは他の看護師のように顎で使ったり怒鳴ったりしないから気持ちよく頼まれごとを引き受けられると慕ってくれた。

稼ぎ頭の内視鏡室を閉鎖したのちこの部署の経営が怪しくなり、病院は職員の勤務時間を削減せざるを得なくなった。看護師1人の業務量が増えたとき、彼らが力になった。彼らなしで業務はまわらないことを、どの看護師も感じるようになった。

そんなふたりが近く病院を離れることになった。ひとりは転職が決まった。経営が厳しくなるにつれ、看護師のみでなく助手の勤務時間も削減されるようになったことで十分な勤務時間(=収入)が得られなくなって見切りをつけていたところに、うちの外科で勤務していた麻酔科医が自分のアシスタントにスカウトしたのだ。時給も上がるし、収入も保障される。

アメリカで彼のような働き者を探すことがどれほど難しいかを思えば、彼を大事にして十分な勤務時間を与えられなかった病院を責めこそすれ、彼を責めることはできない。てかあの麻酔科医、うまくやったなあ…

もうひとり、若い助手は病院に在籍したまま空軍に加入し、8週間の初期訓練後、将校訓練学校に入ることになった。大学に行きたいと希望していたが、裕福でない両親に学費を頼ることができず、軍に加入することで受けられる学費援助を目的に予備兵になることを決めたのだという。予定では1年後に復職だけど、しないような気がするし、それでいいと思う。

楽な道ではないこの決断をするのに彼はかなり悩んだようだが、それでも時間をかけて考えて決めたらしい。いいことだ。きちんと悩んで納得して決めたことなら、文句を言うことはあっても後悔はしないものだ。

わたしは恵まれていて高等教育を受けることができたけれど、それでも彼の年の頃、人生の武器にもならない学歴を手にどうしたものかと悩んだ。わたしはどう転んでも看護師に向いているとは言えないが、あの頃、就職できないあまり当時の彼と結婚でもしていたら、わたしの人生の終わり方加減はそれこそ今の非ではなかっただろう。

彼のように若く賢く働き者の青年がいつまでも未来のない看護助手でいるべきではないし、自分の人生を考えて行動を起こすことが正解なのは間違いない。だからうれしいことなんだけど、別れはつらい。行ってほしくない。仕事も回らないけど、それよりもいなくなるとわたしがさびしい。

今日が彼の最後の勤務日。看護助手くんの人生が春の日のように明るいことを望む。

残業

仕事が長引いて、帰宅したのが23時。

前回23時まで連絡入れずに仕事してたら王子が心配して病院まで様子を見に来たということがあったので(途中で帰宅するわたしの車を見つけてUターンして後ろをついて帰ってきた)、今回は勤務先の直通番号をテーブルに書き置きして、さらに22時を回ったところで一度連絡を入れた。出なかったからもう寝てたんだろう。

仕事を何よりも優先することを日本の臨床でがっつり刷り込まれたので、多少の風邪や熱では仕事に行かないという選択肢が思いつかないし、「仕事が終わらないなら帰らないのは当然」ということを疑問に思うこともない。どれほど働いても残業代がつかない日本の臨床と違って、法律どおり21時を過ぎたら19時以降からの時給が割増になるのはありがたい。

王子は「家族を優先しないのはおかしい」って言うんだけど、うちは養育の必要な子供のいない世帯だから「独身ふたり」みたいなもんなんじゃないの。実際税制上も独身ふたり扱いだし。

アメリカで遅くまで勤務して困るのは、セブンに寄っておにぎりとゆでたまごを買って家で食べるのができないこと。ドーナツ屋は24時間営業だけど、24時にドーナツなんて食べたくないです。

一飯の恩

条件削除終了で浮かれていたら仕事がなくなっていた。

うちの病院はそれぞれの部署長が勤務表を作る。印刷したものが毎月配られるのだが、最近になってこれが院内LANにのっかるようになり、PC上でも見られるようになった。わたしはこれにちょこっと細工をして自宅でも見られるようにしてあった。

で、そろそろBLSとACLSの期限が切れるので受講しないとならないと気がついた昨日、自宅のPCで来月の勤務表を確認したら勤務が4週間のうち1日しか入っていなかった。

わたしは非正規雇用。職場が必要なときだけ勤務する雇用形態なのだが、わたしが子供もいない上に仕事のかけもちもしていないという桁外れの暇っぷりに、上司は基本的に「福利厚生のないフルタイム扱い」でわたしのシフトを組んできた。

ところが年末から今までの3週間ほどが非常に患者が少なく、わたしは勤務がキャンセルされることが多くなり、週に2日勤務すれば多い方みたいなことになっていた。休めるのはうれしいのだが、若干休みすぎが気になっていたところだった。

この勤務表はまだ完成ではないということなのか…と思ったのだが、わたし以外は全員きっちり埋まっている。誰が希望オフとかいったコメントも入っているのでソフトのテンプレのままというわけでもない。1ヶ月分作成されていて、わたしだけほぼ空欄である。1日だけ入っているというのが生々しい。

だいたい作成が終わっていないものが外から閲覧可能になっているはずがない。ということは、やはりこれで完成だと考えるのが妥当な話だ。

がっかりして泣けてきた。オフの日の朝5時に電話がかかってきて「病欠が出て困ってるんだけど出て来れないか」と言われれば「今から行きます」と出勤したし、公休返上でひたすら勤務したことも数知れず。残業だって断ったことはほとんどない。でも、必要なくなればこうやって切るんだな…アメリカらしいっちゃらしい。

好意的に受け取れば、シフトを組んで前日に「明日は来なくていい」と言うよりはこうして空欄にして必要なときだけ前日に連絡をするようにすればこちらもまとまった予定が立てやすいし、他の仕事も入れることができる。

患者数が少ないのは誰のせいでもないし、必要ないスタッフに出勤させる金はどこにもないのだ。国内での職歴のないわたしに仕事を与え、一から指導してくれたことは有り難いことだし、同じ領域なら仕事も探しやすい。ショックだが仕方がない。

というわけで涙を拭って転職活動開始。院内の外科系の仕事を探し、履歴書をコピペしてオンラインでかたっぱしから応募する。なぜか1日に5件の応募制限があるので5件出したところで打ち止め、続きは翌日に回す。早ければ春には勤務が始められるだろう。

帰宅した王子に愚痴ると、まあ別の仕事が見つかるよ、とりあえず生活には困らないからいいじゃないかと寿司をおごってくれた。アメリカの寿司ってなんであんなにまずいんだろう。てか、かっぱ寿司がうまいわたしの安い舌でもまずい寿司ってどんだけ。

と思って今日出勤したら、上司いわく「え、あれもうオンラインにのっかってたの?え、仕事に応募した!?」

わたしはオフ希望がまったくないので、上司は他のスタッフの勤務希望をつっこんでから、一番最後に勤務人数を調整しつつシフトを入れるらしい。で、この作業はオフラインのソフト上で行うんだが、作成期限が来たので未完成と知らなかった事務方が勝手にサイトにアップロードしたという話。

「いやいやいや、1月と7月は毎年手術が少ないのよ、だからあんまり勤務日数が多くないけど、来月は増えるから。今日完成させるから明日まで待って。てか他の仕事見つけないで」

というわけで転職活動は1日で終わりました。どうせ応募したもんだし仕事をかけもちしてもいいんだけど、新しいところに行くのめんどく…ぃゃ一飯の恩を忘れないのが日本人なんだぜ。

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